日本大学生物資源科学部博物館 |
最寄駅は小田急江ノ島線の「六会日大前」になります。 駅から道成りに南下する こと徒歩3分くらいで到着できます。 付属の博物館は大学敷地内にあり門から堂々と入場していく行程になり、 その構成は1階エリアに陸海の動物の剥製や全身骨格標本などが 、3階エリアには1300種もの蝶の標本が展示して あるというものです。入場料は無料です。 1階で一番大きかった陸上生物は象の骨格標本でした。 動物園で7年ほど生きた個体だそうです。 また、海の生き物として鯨の標本骨格 もあります。1997年の調査捕鯨で得られたクロミンククジラで、 体長は8.2m、捕獲時の体重は6.4tもあった巨大なモノです。 標本脇に階段が併設され、上から覗き見て全体像を確認することが出来ます。 なかなかの迫力でした。 サイの標本については、ミスターチルドレンのCDジャケット のデザインにもなった個体です。館内は写真撮影が不可でしたので、是非、実物を 見に行ってみてください。 |
東京工業大学博物館すずかけ台分館 |
最寄駅は東急田園都市線の「すずかけ台」駅です。坂を登りR246を挟み、進むこと直ぐの位置にあります。 駅利用は大学関係者が多いようで、降車後、駅前からは頭の良さそうな人達の 行列がありますので、その後にくっ付いて 行けば迷う事なく辿り着けるでしょう。 車で行く場合は、「東工大入口」で折れてください。東名入口の手前あたりです。校内は一般人にも 駐車場を開放していますが、正門からの入場は開閉式ゲートが下りてますので、門前守衛で受付けを済ませる 必要があります。 |
道成りに直ぐY字路があり、最初のグレー色建物のS2高層棟、この1階部に博物館はあります。 本館の大きな魅力はシーラカンスの標本が、 計4体(成魚3体、稚魚1体)見学できることです。入場料は無料です。 脇にはバイクや自転車の駐輪場もあり、親切構造でした。 |
中央にある標本は、2005年にタンザニアで捕獲された個体です。標本製作に あたり、体内の水分を全て樹脂で置換するという特殊な樹脂加工(プラスティネーション)を 施しています。 (体長)170cm (体重)105kg (捕獲場所)タンザニア・タンガ沖 稚魚は大きさ345mmです。腹部に見られる緑色の物体は卵黄嚢です。 |
シーラカンスは胎生魚として知られています。 雌の卵巣で12〜13ヶ月かけて育つ受精卵は、何と最終的に直径10cmにまで 膨れ上がります。その後、体内孵化した幼魚は母親の体内で卵黄嚢の栄養を 吸収しながら30cmにまで成長し、そののち初めて 大海に生まれ出ます。母体は1回の出産で数匹〜40匹を生むようです。 |
1938年の発見以来、その希少性からシーラカンスの捕獲は困難を極めました。 次の第二個体が発見されるまで、実に14年もかかります。この時の 場所はコモロ・モロニ諸島で、以降は 同域で続々と発見が続き200尾 余りの捕獲に成功するに至り、現在ではシーラカンスの最大生息域として知られるようになりました。 その後、新たな生息域が注目を集めるようになります。コモロ・モロニ諸島の 北上、タンザニア沿岸域です。90年代後半から 少しづつ捕獲に成功し、現在ではコモロ・モロニ諸島に次ぐ大生息域として有名になりました。 同校所蔵の個体もタンザニアから寄贈されたものです。 これとは別に1998年には、遠くアジア地区でも個体の発見がありました。 インドネシアのスラウィシ島という場所です。(アフリカ)(アジア)という2種類の系統は、 近年のDNA解析により約3500万年前に分岐したものだと判明しました。 これは、直前5000万年前におこる インド大陸がユーラシア大陸に衝突する時期で、その海洋生息域の分断と、伴う環境変化 が因果として引き起こされた結果だと推測されています。 |
解剖標本もタンザニアで捕獲されたものです。 (体長)162cm (体重)69kg (捕獲場所)タンザニア・タンガ沖 |
神経線維の無い背骨の中には流動性の液体が満たされていますが、 これは深海に生きる生物の殆どが、浮き袋の内部を空気でなく脂肪により満たし、これにより 浮力の調節を行っていることに起因するとみられています。シーラカンス自体にも浮き袋は 有り、やはりこの器官にも同様に脂肪が詰まっています。 背骨は構成状、正確には軟骨により成る「脊柱」と呼ばれています。また、他の魚類に見られるような あばら骨は無い分、体表を覆う鱗が非常に硬く、更にその1つ1つに小さな突起を形成していて 外敵や 岩肌から身を守るのに役立っています。 |
光の届かない深海に於いて、シーラカンスの巧みな空間認知方法として rostal器官というものが上げられます。鼻腔中央のゼリー状の 嚢胞のことで、ここから体表に向け 3つの穴が開いており触覚のような役目を果し、微弱電流を感知しながら対物関係や、 隠れた餌を探すのだといいます。 |
目は元々は濃い青色をしています。死ぬと灰色〜茶色に変化します。 (ひれ)には、第一せびれ、第二せびれ、胸ひれ(対)、腹ひれ(対)、 しりひれ、おびれ、の計8枚あります。このうち、第一せびれは殆どの魚類が有していますが、 シーラカンスの場合、折ったり畳んだりと 器用に収納する事ができます。そして、ひれの1つ1つに関節と筋肉を有し独立して運動させることが可能 になっています。この点が、他の 魚類と比べて大きく異なるシーラカンスの特徴といえます。 |
最後の個体はホルマリン漬けの標本です。半身を矢状方向に輪切りしてある標本ですが、 壁に立て掛けてあり詳しく裏側を観察することが出来ませんでした。頭部の切削は非常に硬く、のこぎり を使用したようです。 |
隣のブースでは、 江戸城本丸の御殿大広間が再現された模型があります。色彩豊かな屏風や細やかな梁や室内の作り込み には圧倒されるものがあります。本丸御殿は過去、7回の建替えが行われましたが、本模型の再現は 6回目の弘化2年のものだそうです。将軍宣下や外国人の謁見に使用するなど、内外と格式の高い場所 であったようです。 模型は1988年の国立博物館の展覧会出品されたもので、同校名誉教授である平井聖氏と 当時の理工学部の学生さんによって製作されたという経緯の作品です。 |
近年、地震や災害で人間の踏み入ることの困難な場所での救助支援を行う 、いわゆるレスキューロボットの開発が注目されています。Bari-Bari-IIは外部の人間がリモート 操作を行いながら、狭い空間に侵入し、倒壊した壁や板をこじ開けながら移動することが可能だそうです。 博物館は1階部エリアだけでしたが、発電の駆動実験や、眼球の視覚野の実験、など体験型の施設もあり とても興味深いものばかりでした。 東京海洋大学鯨ギャラリー |
最寄駅はJR品川駅、もしくは東京モノレールの天王洲アイル駅になります。正門までの 距離はどちらも500mと同等程度で、 時間にして徒歩で10〜15分くらいで到着できます。 大学の沿革として、 以前より存在していた 東京商船大学と東京水産大学を2003年に『東京海洋大学』と統合した為に、それに伴い博物館(水産資料館)の母屋の隣に 鯨ギャラリーという骨格標本専門の展示館を新設したという経緯のようです。新館完成は2006年のことです。 内部は2体のクジラの骨格標本が見学できる構造となっており、 階段からは 巨大な体躯を見下ろして全体像を捉える事が出来ます。圧倒されること受けあい、とにかく大きいです。入場料は無料です。 |
セミクジラとコククジラの2体です。 クジラ目には、大きく分けて(ハクジラ)(ヒゲクジラ)に大別できます。 額面通りに歯を有するハクジラと、同様器官を髭により代用するヒゲクジラという分け方になります。 ちなみにハクジラの場合、歯といっても臼磨や咀嚼機能はなく同種との闘争やハンティングに使われる だけのようです。ヒゲクジラの場合は、オキアミなどを濾し捕る網の様な機能を果たします。 この細い毛を有した板状の器官(人間の爪とほぼ同様の物質)が顎部に片側250 枚程度生えています。ヒゲは その昔、日本に於いては浄瑠璃人形の糸や釣り竿に、海外ではコルセット等に利用されていました。 |
同館のセミクジラ、コククジラは共にヒゲクジラ目に属しますが、クジラの中でも 簡単に捕獲できる種類なので、過去、乱獲が横行し個体数が激減 、 1937年からは国際的に捕鯨禁止対象になりました。 その希少性から全身骨格標本は非常に価値が高いものに成り 、現在では国内に同大学や雲見など数箇所を残すのみとなってしまいました。 |
<セミクジラ> 身長(17.1m) 体重(67.2t) 性別(雄) 1961年に調査捕鯨の為に、アラスカ半島のコデァック島付近で採集した個体です。 セミクジラの骨格標本としては世界最大となっています。頭部は全長の30%にもおよび、長さは 5.1mにもなります。長い背骨を構成するのは、頚椎7コ、胸椎14、腰椎10コ、尾椎25コ、の計56コの骨です。 |
骨格標本の腹側下段部に、一連とかけ離れた位置に独立した骨片があるのが確認できます。 これは、クジラが陸上で生活していた頃、遠い祖先(カバに似た姿だと推測されています) が持っていた足を支える為の骨盤の名残りで、 骨盤骨痕跡と呼ばれています。他の科に属するクジラは大抵、消失または退化している器官ですが、セミクジラ の場合は影響が多々残り、大きさもあり大腿骨の痕跡までも確認できるとの事です。 |
<コククジラ> 身長(12.8m) 性別(雌) 2005年に宮城県の江島沖で、大型定置網に混獲された個体で同時に子鯨も1頭(7.7m)も いました。本館はその母親のものでアジア系コククジラとしては 国内最大です。ちなみに子鯨は石巻の牡鹿ホエールランドに展示されています。 体表にみられる白い斑点は、フジツボや寄生虫だそうです。 |
鯨ギャラリーのすぐ裏が、資料館の本館になってます。こちらの玄関先にもう1体のクジラ 骨格標本があります。ドワーフミンククジラで1988年の南極海鯨類捕獲調査の際の個体で、全長は7mくらいです。 水産資料館は、マンボウやペンギンの標本、海亀やエビや貝、イルカやクジラの胎児のホルマリン漬け等 もあります。また、研究練習船雲鷹丸の帆船模型、舵輪や銛の展示もあります。 |
明治大学博物館 |
最寄駅はJR御茶ノ水駅です。楽器屋の並ぶ明大通りの坂を下って、 最初の信号を超えた右手に見えて きます。非常に綺麗な建物です。 |
11階建てのビルで 『アカデミーコモン棟』と呼ばれています。この地下層に博物館はあります。 もともと、刑事博物館(1929年)商品博物館(1951)考古学博物館(1952) という各々独立して展開していた部門を、2004年に統合し当ビルの地下に設けたという 経緯のようです。 ビルエントランスからB1とエレベーターが繋がっていて、 このB1エリアは特別展やグッズ販売に使用されています。基本的に入場は無料ですが、 特別展は一部有料になる事があります。このエリアから 更に下層B2エリアに進むと、常時展コーナー になり先の3部門の史料が閲覧できるようになってます。 |
鉄の処女は、中世ヨーロッパで用いられた拷問道具です。構造は、 内部が空洞になっており、中に人間を入れて観音扉を閉める事によって内壁の 釘が犠牲者の身体を串刺しにする、というものです。同大学のモノはあくまでレプリカであり、 他の展示品のギロチンや拷問道具に至っても、同様に、その殆どは古資料や文献を元に再現 した見本品という事になります。 |
ドイツ語では「アイゼルネ・ユングフラウ(Eiserne Jungfrau)」、英訳 は「アイアン・メイデン(Iron Maiden)」、または 「ヴージェノヴ・ニュアレンバーグ(Virgin of Nuremberg)」 (「ニュルンベルクの処女」の意味)と表記される場合もある。(wikipediaより) |
ギロチンが生まれたのはフランスです。同施設には1793年の ルイ16世処刑の様子を描いた絵画も展示してあります。 |
首が切断される瞬間について記した文献が残っています。 高橋箒庵(そうあん)の自伝「箒のあと」からの一節。当時の罪人斬首の土壇場は、 現代では想像もつかない程簡素な造りであり、 空堀の中央に仕切り板が立てられていた程度で、堀を超えて 板に貼り付けば誰でも内側を覗い知る事ができた、と記してあります。 しかも、板から罪人までの距離は二〜三間(4〜5m)くらいしかなく、およそ 一般人から女子供までの誰もが 目の前で処刑の様子を見る事ができました。本記載は高橋箒庵が9歳の頃、 明治二年、水戸で行われた処刑物見 の様子を伝えたのものになります。 斬らるヽや否や首は前の穴へ落ちて、血は徳利を横にした如く 一時に滾々と迸り出て、やがて出血が止めると切口がムク〜と動いて、 物を裹む(つつむ)が如く内側に収縮する者である。 江戸の時代は、公開処刑や晒し首をすることで犯罪の抑止力 になるという考えがあったのでしょう。 小塚原や 鈴ヶ森という、いわば江戸の玄関口に敢えて 血生臭い刑場を設けたのは、人間の往来が流動的な「江戸」という大都市の 治安を少しでも良く保とうとする幕府の意図があったからに違いありません。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 石抱責めです。 |
鋸引です。 |
獄門首台木です。 |
磔柱です。 |
火刑と絞首刑です。 |
江戸時代の処刑方法は下記の通り6種です。 上から順に、下に向かうほど重刑とされてきました。 ・下手人、斬首後に死体を捨てる ・死罪、斬首後に死体を刀の試し切りに使う ・火罪 ・獄門、斬首後に首を獄門台に三日晒す ・磔、磔柱に縛り付け左右から槍で突き刺す ・鋸引、罪人を生きたまま日本橋に晒して希望者に竹の鋸で挽かせる 罪人の中には、斬首を逃れるため苦肉の策をめぐらせていた者も居たようです。 ある罪人は予め首に『東照大権現』と入れ墨を施していたそうで、 「まさか徳川家康公の勅諡号を真っ二つに切る事は出来まい・・・」と上役の命により、 まさに 執行の直前で遠島にまで減刑された、という実話もあります。 その後、この噂が広まり二番煎じで多くの囚人が 同様に首筋に入れ墨を施したようですが、その対策として 首切り役人は相当部の皮を一枚剥いで から首を落とした、という事です。 |