ドリアンインホテルさて、無事に オモニア駅前の オモニア広場までは辿り着けた。 ギリシャ語表記の不理解は別として、 単線が3本クロスするだけなので、日本の私鉄国鉄が絡む複雑な路線事情から 比較すれば、かなり簡単にここまで来る事ができた。 |
とり合えず、オモニア広場からホテルを探しだす。企画会社が 手配してくれていたのは『ドリアン・イン(DORIAN INN)』ホテルだった。 ちょろちょろ歩くと、すぐ見つかった。 オモニア駅から歩いて5分程度の距離にあり、屋上からは アクロポリスの丘が望めるという、観光特化の好立地ホテルだ。 オモニア広場周辺は旅行者用 ホテルも多い。広場からアクロポリスの丘までは地下鉄で1本の距離であるが、 もちろん 歩いて行くことも可能な範疇だ。距離として1km程度。 |
ドリアンイン ホテルは12階建の、屋上がプール付きレストランという構成になっている。 入国前までは、実際に見ていないものでエジプトのホテルにある ピラミッドビュー部屋のように、 このホテルもパルテノンビュー部屋が存在するに違いない!と、早合点し、 ホテルの手配をしてくれる企画会社に、 「ぜ〜〜〜たい、パルテノンビュー部屋がいいですぅ よろしくお願いしま〜〜〜〜〜〜〜す!!!」 などと、日本で 恥ずかしいメールで要求していたのだが、 根本的にそんな部屋は存在しないようだ。大道路に面したホテルは、南方向 にパルテノン神殿があるのだが、部屋の窓は全て東か西方向に開いている 。しかも、 南側面 は真っ白い巨大なコンクリート壁で遮壁されており 、さらに隣のビルも同等に背が高いのが現実だ。 従って、部屋から正視してパルテノン神殿を眺めるのは、構造上無理である。 私の場合は、 東側の一室を宛がわれたが、目の前は住宅地であり、遠視では リカヴィトスの丘しか見えなかった。 何とか、半身を寄り出して南方向に構えればパルテノン 神殿も見えなくもない。が、手摺も無いく 危険なので、もう止めた。部屋や階数によっては、運よく見える 部屋も存在するのかもしれない。 |
フロントの親爺が言う。 『HAHAHA〜、小僧、日本からよく来たな! 屋上の景色は最高だから上ってごらん。まあ、ゆっくりしていけや』 |
実際に12階に出てみる事にした。 こちらは、流石に景色は最高であった。 卓がいくつか並べられており昼間はレストラン、夜間はバーにと 変身するようだ。遮るものが無い屋上に 吹く風は、カラリと乾いて心地よい・・・・ 部屋の設備については、特に不満になる点は無かった。 日本国内での当ホテルレビューを読む所の、エアコンの効き目が 悪いと報告があったが、冷却機能もまずまず良好で、 私の行った時節がミドルシーズンだったことも 手伝ってか、然程に 不便は感じなかった。朝方は寒くて目が醒めるくらいだった。 |
廊下の壁は古代ギリシャの神々の群像が描かれて、いかにも ギリシャのホテルらしいデザインになっている。 ここら辺のアルカイック期の構図は、 通りを歩けば壺や各種食器など に描かれて目にする機会が多いので、調度いい土産になるだろう。 |
ギリシャのお土産として、その他はチョコレートやワインを よく目にした。 皮製のサンダルも有名のようだ。 あとは、神々の像であるフィギアや石膏像が人気で、これらはどこでも売られていた。 |
部屋も非常に清潔であり不満は無い。シャワーの水量も抜群であり、 お湯も温度変化することなく、水周りは総じて元気がいい。テレビは一応映るが、 国内局のみの放映なので内容はわからなかった。 |
トイレも綺麗であった。が、重要な注意点として ギリシャでは便と一緒に使用後のトイレットペーパーを流しては いけない。私の無知で、 知らずにガンガン捨てていたら、いつまでも1〜2日ほどに 便器の底部に残留して、悲しそうにクルクル 回転していた。根本的に紙自体が水に溶けない材質なのかもしれない。 尻を拭いたら、備え付けにボックスに捨てる。 これは常識の行動らしい。ギリシャ最大の国際的観光地である アクロポリスの丘に併設されたトイレであろうと、これは 同様であった。 |
アテネでは、根本的に下水管が細いのだという。地下鉄を掘れば 遺跡にぶち当たり、大きく完成期が遅れるのが常だ。 |
アクロポリス 博物館の移転も、施工開始当初の予定では 2004年のオリンピック開催に合わせ、丘上に既存していた 建物を下に移動させ完成する予定でいた。 しかし同様に、やはり地面を掘りおこすと過去の遺跡が出てきてしまい工期延長せざる を得なくなり 、結局は、新アクロポリス博物館としてお披露目 したのは2009年になってからだった。 現在は、いつまでも発掘の時間を掛けていられないので、遺跡の 上にガラス張り の通路を設けて、観光客を入口まで 橋渡ししている。来館者は、透明なガラス張り の目下から、遺跡全体を眺めることが出来るようになっている。 |
ホテルの話に戻ると、 おおむね満足できるが朝食だけは恐ろしく不味かった。 チェーフィングが数台並んでいたが、蓋を開けても中身が入っていたことは 1日も無かった。 フルーツも缶詰で、手料理されたものは存在しない のだろう。ホテル側の、パンとジュースで 取り敢えず空腹を満たしてくれ、という意図くらいしか汲めない。 |
オモニア広場 界隈のホテルを利用する方に限って言えば、周辺の小道に入り込むと実に怪しい店が並び 、不便を感じることも多くなるだろう。 散策した結果の私なりの良店は、 日用雑貨やペット水、アルコール類やツマミなどはアティナス通り(Athinas St) にあるコンビニ(24h営業ではない)が便利だった。店内も明るく衛生的で治安もよい。 商品目も多く バーコード管理で、領収証も切ってくれ、外国人旅行者の姿も 非常に多く見かけた。オモニア広場から、南に100mくらい下った位置にある 茶色がかった門の店だ。 |
『腹が減ったら、タベルナ!』ホテル到着が午後の3時であり、小腹が減っていたので先ほどの フロントで親爺に訊ねる。 「お昼をとりたいんだけど、どっかいい所ない?」 『じゃ、タベルナ』 「いや・・・、腹が減ってるから何か喰いたいって言ってんだろが」 『腹が減ったら、タベルナ!』 TABEPNA(タベルナ) |
タベルナとは、ギリシャ風野外食堂といったところだ。 観光客だけでなく、一般の市民も普通に使っている。 レストランを大雑把に大衆化した感じの店構えであり、フォーマルさや 値段も下げた内容であるという。レストランとタベルナの 違いは、テーブルクロスが布であるか紙である か、の違いらしい。私なりに感じる所の、 そんなに厳密 な差異はないようだ。 観光地に特化したタベルナであれば、 民族舞踏やショーが催される大型の店もある。レストランにせよタベルナにせよ、 どちらも気取った風情はなくギリシャ人とは気さくな人間が多かった ので、物怖じせず気楽に入場できる。 通りをウロウロしていると、入口で ウエイターがメニューの説明をしてくれた。 彼是と英語でメニュー表を指さしながら 大体の内容を教授する。ウチの店にしなさいって!てな感じで。店によっても 料理の内容に若干の 違いがあるのだろう。 ちなみに 言及すれば、日本でいう料理メニュー表は、ギリシャ語では、 ΚΑΤΑΛΟΓΟΣ(カターロゴス) という。更に言えば、これまた「 カタログ」の語源である。ギリシャ語でメニューという言葉は、セット料理 のことを指すそうだ。 『当店のオススメ料理はフレッシュフィッシュだ。肉料理もあるよ』 アクロポリス周辺は、レストランやタベルナが 犇き合っており、大変営業時間が長いので何回かはお世話になる はずだ。強引な客引きは無いので、予算や 自分の好みに合った料理店の選択が可能だ。 ケバブを頼んでみた。9ユーロほど。 |
古代ギリシャ人の悪食は有名だ。兎に角、何でも喰ってみたらしい。 中でも魚が大好物であり、 魚を食す為なら、金を惜しみなく使うというのが 古代ギリシャ人の気質であったといい、事実、珍魚を食べるため に散財し破産した人間もいたそうだ。 面白い喩え話として、二人の男に一匹の魚を出したところ、一人は魚の目玉に喰らい付き、 一人は俺にもよこせ、とばかりに相手の目玉に喰らい付いた、という笑い話もある。 ピレウス港や沿岸の地域では、魚専門のタベルナも存在する。 ΨAPI(プサーリ)が魚を意味し、以下のように表記される。 ΨAPO(プサロタ)TABEPNA(タベルナ) 対して、肉専門料理店は、以下のようになる。 ΨΗΣΤΑΡΤΑ(プシスタリャー) 調理に関しては、肉塊を丸ごと串にさしてクルクル回転させて 燻し焼きをする伝統的な方法をとっている場合が多い。 一方、格式ばった店構えでなく、通りの立ち食いレベル の小さな店舗で出店している肉料理もある。これを、スヴァラキという。 簡単に言えば焼き鳥屋だ。 |
ΣΟΥΒΛΑΚΙ(スヴァラキ) 鶏肉の場合もあれば、豚のこともある。必ず、 小さなパンが付いてくるので、それに包んで食べるのが正式な 採食方法だという。が、かえって面倒なので齧り付いた方が早い。 値段も安く、1本1ユーロほど、ポテトが2ユーロだった。 |
こんなファーストフード系の店も、ギリシャには大変多く、 24時間営業ではなかったが、かなり遅くまで営業しており 大変助かった。モナスティラキ駅は、パン屋、 クレープ屋なんかが多く、アテネ市民が深夜遅くまで酒を飲んでドンちゃん騒ぎ しながら立ち食いしたり、地べたに座りながらムシャムシャと食べていた。 各1ユーロほど。 |
こんな具合に、アテネでの 深夜徘徊は観光地駅の界隈なら 思ったより簡単に行動できる。 |
ライトアップされた アクロポリスを撮りに行こうと、モナスティラキ駅から 坂を上って付近をウロウロしたが、何時になっても観光客が多く、またタベルナや 土産屋も夜10時近くまで 営業をしており大変便利な地区だった 。警官も巡回しており治安面でも対策されている。 |
一方、私の使うホテルの最寄駅であるオモニア 界隈は、入国前に聞いていた噂では治安が悪いとの事で、多少心配 があった。が、果たして言えば、 本当に良くない。 オモニアとモナスティラキを結ぶ「アティナス通り」は 、市内の大動脈であり交通量も多いので、この様なメイン道路に 限って言えば治安的には問題ないが、 大通りからチョッと入り組んだ小路に迷い込むと、 黒人が屯して大声で叫んでいたり、野犬が平気で徘徊している。 噎せ返る臭気に上を見上げれば、雑居ビルの2階3階に中国人が 電化製品や格安の雑貨品を売っていたりする。 駅前のオモニア広場も深夜は閑散としており、警察の立ち入りもあまり無いようだ。 おそらく、移民街のような地区もあるのだろう。宿屋以外に 当座にオモニア駅に行く用事があるとすれば、国立考古学博物館への アクセスとして、最寄駅「地下鉄オモニア駅」を使う 人が多いだろう。 昼間なら交通量も多く、人も多いので問題はない。 小路地に迷わない為には、大型道路に沿って北方向にスタスタと 標識に従い歩いていけばいい。博物館までは、だいたい駅から10分程度で到着できる。 28stという 特徴的な名前の道路だ。 |
飲食や売買に関しては、 ユーロ通貨で事足りる。有名観光地だが、物品の購入に関しては露天商で あろうと、スーパーや飲食店であろうと、 驚くほどキッチリとお釣りを返してくれる。日本の10円単位のセントユーロ貨幣 が財布にジャラジャラと貯まって重たくなってしまうくらいだ。 基本的に ギリシャ人は皆、道を訊ねれば親切に教えてくれるし、対応も誠実だ。特にジジイは暇な 身分なのか、 お節介なほど親切にしてくれる。 悪質みやげ屋や、ぼったくりタクシーも居ない。治安の良さもあってか、リュックを 背負った女性の 一人旅行の姿も多く見かけた。 |
両替については、両替商がモナスティラキ広場に あった。 |
その他、両替屋は通り沿いにチラホラ見かた。しかし 前日、近日の記憶を頼りに再度同じ両替商に行こうと探索を試みるのだが、これがまた アテネの道とは小路が入り組んでおり 、迷路の様に構成がややこしい。結局、 路頭に迷う始末で再見することは叶わぬ経験をした 。であるので、 大まかな金なら空港なりで両替してもいいだろう。 |
もちろん、現地を歩く時は地図は必須 だ。幸いにも、広場や有名駅周辺には、漏れなく宣伝用の 折りたたみの地図が電柱の備え付けてあるので、それを片手に 散策するのが楽だ。 |
『喰った後は、シエスタ=お昼寝の時間!』シエスタをあなどってはいけない。本当に彼等は昼寝をし、真っ昼間からシャッター を下ろす。国家の財政破綻など、お構い無しに昼休みをたっぷりと2時間近くとる。 近年のタベルナや飲食店はそうでもないが、 小売や土産屋は平気でシャッターを下ろす。そのかわり、朝が早く、夜も遅い。1日を2つに分けて いる感じだ。従って午後からの活動も十分長く、 対応して店の営業時間も長くなる。 ギリシャに来て驚いた事の1つは、太陽がなかなか落ちない ことで、1日が非常に長く感じることだ。 夜の9時近くまで 太陽が燦々と輝き続けている。ギリシャ人のとってのシエスタの時間である 昼の13時〜16時くらいの時間帯は、一番 太陽の光が強く、歩き疲れも出る頃であるので、あまり齷齪せずに木陰に入って 少し昼寝するのもいいだろう。 |
対して、冬は早々に日が落ちる。また雨も多くなる。 日照時間も大きく変わり、以下の通りになる。 (日の出) (日の入り) 1月 7時41分 17時16分 7月 6時06分 20時51分 これに合わせて、遺跡見学も施設によっては、 営業時間を早々に午前で終了する所も出てくる。 私もゼウス神殿を15時くらいに訪ねたら閉館しており、 再度翌日の午前中に再訪した経験があった。正確には冬期の営業時間は シエスタの時間区分である 8:30〜15:00になる。国立考古学博物館も冬期はこれに倣う ので、計画的にコースを立てた方がいいだろう。 逆に、あまりにも暑い8月辺りは熱中症の 危惧から、突然に、運営側でアクロポリスの丘を予告無しに閉館する こともある(ガイド本記載。) また、労働者ストが起きると、気候時節関係なくゲートを閉め、観光自体が 宙に浮く事態も有り得る事らしい。ここら辺の 状況は案外流動的なので、現地に入るまでに十分な余裕と 情報は事前に掴んでおくことも大切だろう。 アクロポリスの丘の入場券についてさて、いよいよ荷物もホテルに置いて食事も済ませたところで、 憧れのパルテノン神殿へと向かうことにした。 まずは、最寄の地下鉄『アクロポリ駅』へと降り立つ。 構内には、パルテノン神殿にかつて掲げられていた 西側のフリーズ絵巻が再現されていて、嫌がおうにも テンションは上ってしまう。異常な 興奮で顔面は紅潮し、ドンドンピンク になっていった。 |
駅を出て、西方向に進路を取る。歩行者天国の大通り、 (ディオニシウ・アレオパギトゥ通り)を進む。 緩やかな1本道の坂であり、土産屋とタベルナが軒を連ねていた。 観光客の流れや賑やかな雰囲気から、この道を登った先にパルテノン神殿が あるのは間違いなさそうだ。 観光客を乗せたロードトレインも頂上辺りまで走っている。 |
(ディオニシウ・アレオパギトゥ通り) 自体は500mくらいの距離がある大道路だが 、私としては何年も恋焦がれた場所であったので、 この興奮と高揚感を味わいたく意図の下、ゆっくりと 1歩1歩と自らの足で上ることに予め決めていた。しばらく進むと途中の 柵の角、やや背の高い植木の端が途切れた時、 突然、目の前に巨大壁が見えてきた。 |
「出た!アクロポリス、出たよ!神殿乗ってるよ!パルテノン出たよ!」 俺は限界だと思った。 |
アクロポリスの丘は、周囲が城壁になっており パルテノン神殿のある頂上エリアの 入場口は 西口の1ヶ所のみになる。坂の手前にチケット販売所があり、 この『アクロポリスチケット』1枚購入( 12ユーロ)で周辺遺跡を含め、 4日間なら同一券で全ての遺跡入場が可能になって いる。 周辺とはディオニソス劇場 、ゼウス神殿、古代アゴラ、ローマンアゴラ、ケラミコスの遺跡、アドリアノスの図書館 、の事で、ほぼ1km四方内にこれらは 集中している。全部で7コある遺跡群は徒歩圏内に在る が、総じて移動時間と併設の 博物館を一通り見学する行程ならば、1日以上は費やす時間となるだろう。 一般的にアテネ観光として、アクロポリスの丘とゼウス神殿、古代アゴラ の3つは神殿が現存するので絶対に外せない事項だ。 これを含めて博物館2つ(新アクロポリスと国立考古学)を 含めて 更に廻ると、 1日という限られた時間 では結構辛い。かなり駆け足観光になる。さしあたって、2日間あれば、 これ以外の各遺跡と博物館の2つを総括した 観光を余裕をもって廻ることが出来るだろう。 |
7コの遺跡といっても、同じ場所を何回も見学 できるわけでなく、各遺跡につき入場は1回きりである。 私もパルテノンを初日に見て、後日、他の遺跡に向かう途中に アクロポリスの丘を何回か素通りする事あり、時間が余ったので フラフラと 再入場しようとしたら無理であった。入口に検券器があり、脇に常駐する職員が チケットをバーコードに晒す作業をしている。過去、入場歴がある場合は反応があり、 そこで門前払いを受ける。 各遺跡の立地上は1km四方に凝集して いるが、もともとは各個独立の営業形態の経緯であり、現在も エリア別に柵で隔て区分してある。案外、 このエリア別の各入場口が見つけにくい。 行き当たりバッタリで行動すると、細かい入場口が見つからなくて 移動時間を大きくロスすることにもなるので、予め入場口は把握 しておいた方がいいだろう。この辺はさすがに、分厚いガイド本が詳しい。 |
アクロポリスの丘の場合、先ず 検券器のある観光入口の、1段下にある黄色いボックスで入場券を買う。 購入後、そのまま再度坂を上り、入口でバーコードの読み取りを 受けて入場するという手順になる。 |
入場後は、二回ほど折れた坂を登り、先の 前門にあたる『プロピュライア』をくぐる。両脇に巨大な石柱が 並び、荘厳さを醸成している。 その先が、 いよいよ本殿であるパルテノン神殿だ。ついに、アクロポリスの丘の上に立つ ことができる。長年、夢見た瞬間の到来だった。 |