生きてる事が功名か


パルテノン神殿ですぅ



ヨーロッパ文明の礎

   かつて1941年4月27日、 アテネを陥落させたドイツ軍総統ヒトラーは、アクロポリスの丘を占領している 兵達に向かって言ったという。



    『君達は今、ヨーロッパ文明の源泉たる聖地に立っているのだよ』




   現在でこそ、EU共同体のお荷物と揶揄される傾向にある ギリシャであるが、 『ヨーロッパ文明発祥の地』として、遠き紀元前から現代の世まで、歴史の 経過の上では、 他を圧倒する燦然と輝く 不動の地位を保っている。特に、ペリクレスが在位した 古典期に最盛期を迎えた アテネは文化、建築、民主性政治、哲学、美術、とその多方面で 何千年分かのエネルギーを凝縮 させたかの様な、強烈な輝きを放った。



ペリクレス ΠΕΡΙΚΛ(Pericles)


   その中で、国庫金のありったけを使って15年の歳月を費やして 建築された神殿が「パルテノン神殿」だ。総工費は2000〜3000タラントン、現在 の日本の貨幣価値に換算して1200〜1800億円くらいであるという。 そして施工上、 建物の比率や、目の錯覚を補正した 細部への拘り、そして華麗な彫刻と、その非の打ち所が無い 完成度から『神殿の中の神殿』と最高級の賛辞で評されている。



パルテノン神殿




   白亜(石灰石)の殿堂、と一般的に 慣用句のように用いられる比喩表現であるが、これは実際、 アクロポリスの丘に立ってみると身をもって実感できる。原色の青の絵の具を 大空のキャンバスに塗り潰したかのような、突き抜けた 紺碧の青空と、対比するように白い石柱で組み立てられた巨大神殿を目の前にする時、 その 感動と高揚感は、私成りにもかなり込上げてくるものがあった。



アクロポリスの丘




    この、純白無機質 な大理石が、実は完成直後の2500年前には色彩が施されて いたといわれている 。これは、ほぼ間違いない事実であるらしい。主に青、黄、赤、 そして黄金色を使った、ギリシャらしい 青天の下、周囲の色彩と調和した外観であったようだ。



ギリシャの空は青い ギリシャの空は青い



   正確な創建年数は、紀元前432年、であるので2450年 前の建造物ということになる。日本でいえば、ようやく弥生時代が始まろうと していた頃の話だ。


    そんな大昔に、これだけ巨大で緻密な建造物を造り上げた 古代ギリシアが(勿論、その頃には既にエジプトやバビロニア にも優れた古代文明が存在しているが、)ことヨーロッパ大陸に限れば、 この後、ローマ帝国が属州化させる事によりギリシャから様々な建築技術や芸術を 取り入れ、さらに伝播させていったという歴史の系譜からも加味すれば、 ヨーロッパ文明を先駆していたというセオリーは、まず誰もが認める 間違いのない事実であると言えるだろう。



パルテノン多摩 超人パルテノン


   当然、日本にでも、その完成度の高さから 名前に肖った様々な象徴モニュメントやキャラクターが存在している。



直通便はないよ


   まだ見ぬパルテノン神殿を想い浮かべ、旅行出発の1ヶ月前から、 そわそわドキドキの毎日であった。しかし、準備は万端にしておかなくては!


    コンセントはCタイプの形状になる。対応のプラグと、当然、変圧器も必要になる。 持ち物として重要なのが、何といっても強烈な日差しを避ける為の 帽子やサングラスだ。無防備のまま、炎天下の下を何時間も移動すると、露出した肌は 水脹れの様な日焼けの仕方を被ってしまう。この状態で時間が経つと 、ジュクジュク痒いの痛いのと、 堪らない辛さを味わう。 ここは素直に、防具としてのサングラスや帽子、必要によっては 季節関係なく長袖等も用意した方が いいかもしれない。



Cタイプ プラグと変圧器 帽子やサングラスは現地でも買える




    「いざ!アテネへ!」


   日本からの直通便は無いので、周辺都市からの 乗り継ぎが必要になる。この旅に、この度は、またエコノミー旅客機である エミレーツにお世話になることになった。 成田発のEK−319で機上11時間、ドバイ経由で待機時間が6時間 の、アテネに向けて再びEK−105搭乗で4時間、更にアテネ市街まで 地下鉄で行くことには1時間・・・と、総計22時間の片道切符であった。 日本との時差は7時間程度になる。




Emirates ドバイへ ドバイまで11時間近くかかる アテネへ



   アテネの緯度は日本の仙台くらいの位置だが、 気候としては典型的な地中海気候にあたる。 夏は気温が上がるが、雨量は少なく湿度も低いのが特徴だ。 旅行のシーズンは、6〜9月がハイシーズンで西ヨーロッパやアメリカ、 その他全世界から観光客が押し寄せ、ホテル代も高騰する。 対して、冬は意外に寒さが厳しく、観光に向かない為か宿泊費も下がり、 エーゲ海諸島のホテルは休業 する所も出てくる。内地の山間部では、 年に2〜3日は雪が降ることもある。


石段はツルツルだ こんな靴底じゃダメですぞ!



   持ち物の中で、更に重要なのだ靴(クツ)だ。私の場合は、日本で履き潰した クツ1対のみで行ってしまい、滑って転んで、散々な目にあった。 アクロポリスの丘は、石段の通路が高度に研磨された 石の様に、ツルツルの状態に磨きが掛かっている。 丘上では注意深く移動するので、割と回避できるが 、丘の下や周辺の石段に及んでも又、ツルツル状態 であり、遺跡一帯界隈として本当によく足を捕られる。



注意書き 通常の道もツルツルだ



    実際、私も丘を下りた通常の通路で、気を許し油断した因果か、 2回ほど遺跡と全く関係ないような場所で派手に転んでしまい、うち1回は下り坂の階段で 尻もちを段々とついて角に尾てい骨を しこたま強打した挙句に、疼痛にのた打ち回る態を披露 するに至ってしまった。あの時は、 本気で救急車を呼んでもらおうかと思ったほど痛かった。


   異常なほど表面が滑らかに磨かれ、 これも過去、何億人もの 人間がこの場所を訪れたという歴史が成せる業なのかと妙に納得してしまう 。 であるので、もしこれからギリシャ旅行の予定がある方なら、 しっかりと溝の残った運動靴で行く事をお勧めしたいと思う。




真っ青な空

   なんとか、エレフテリウス空港に到着したのだが、 22時間の乗物疲れで何だか頭がボーっとしている。そんな、混濁した意識レベルを 一瞬にしてフルスロットルで最高まで上げてくれたのが、ギリシャの大空だった。 どこまでも突き抜ける様に青く、そして深い、目の醒めるような真っ青な空だ。



エレフテリオス国際空港 エレフテリオス国際空港


エレフテリオス国際空港 ギリシャ ELEFTHERIOS AIRPORT




   空港は思っていたよりも、こじんまりしている。ビザの 審査が無いので到着後、スタンプを押して直ぐ スムーズに空港外に出れる。まずは、アテネ市街地まで 移動しなければ!近くに居た交通警察官に訊ねる。




「地下鉄に乗りたいんですけど?・・・」




『まず、あのエスカレータで2階に上るんだ。
すると、八角形の建物にリンクする通路がある。伝えば入口だよ』




到着は1階 エスカレーター メトロへの入口 メトロ


   若い男性警官だったが、指をさしながら彼是と ジェスチャーを交え、 とても丁寧に対応してもらい、この時点で 既にギリシャ人とはなかなか好感触の人柄なのだと感じる。


    エレフテリウス空港とは、入国が1階、出国が2階、という構成だ。 従って入国後、地下鉄を使う際は道路を挟んだ2階の連絡通路 を伝う為に、いったん階上に出る必要があるようだ。その後、問題なく上がり、 そのままトラベーターを継いで八角形の建物に入った。


連絡通路 内部



   八角形内部は入口と出口、そして窓口を含む券売所があるシンプルな作りだ。 空港から市街地までの料金は、片道8ユーロほど。自動券売機のほか、 購入方法がわからなければ職員常駐の 窓口もある。行きたい駅名を叫べば、ガラス板越しに奥から乗車券がスパッと 出てくるので、ホイッと料金を差し出せばいい。




窓口 空港⇔市内 エアポートチケットの各料金 地図



   アテネ観光においては、 市内の最中心部、わずか1km四方 に数々の遺跡が凝集しているので、地図片手に歩いて観て廻る スタイルで十分だと思われるが、ホテルから1〜2駅先の場所に行きたい なんて時は、地下鉄が便利だ。<M>の字の看板が入口の目印になる。




地下鉄の看板 地下鉄路線図



   タッチパネル式の券売機がある。 駅名や距離で区分しているのでなく、乗車時間による料金の分け方になって いる。1,5時間内に地下鉄を含む、バス、トラム、トロリーバスが購入1枚で 共通チケットとして使用できる。時間区分に24時間、24時間×7、という 分け方と各種料金体系になる。




タッチパネル コイン投入口 乗車拳 取り出し口



   購入方法は、先に画面をタッチする。すると、 コイン投入口のチャッカーが開くので、指定料金を投入する。画面に 現在まで投入した金額の総計が数値表記されるので、達するまで入れ続ける。 上限に達したら、自動的に取り出し口から券が出てくる仕組みだ。 アテネでは1〜2日の滞在でもジャラジャラとセントユーロが貯まって いくので、こんな部分で細かい金を消費するようにしてもいいだろう。


   自動式券売機は、コインのみ対応と聞いていたが、 私の渡航時には紙幣の対応していた機種もあった。



   その後、プラットホームに行くのだが、必ず入口の 自動検札器にチケットを挿すようにする。これにより、日付けと 時間が裏面に刻印される。単なるスタンプ型であるので、 日本のように 吸い込まれる 事はない。挿入後、ガリガリと刻印された音を聞いたら、自分で券を抜く。 これをしないと、稀に車両に廻ってくるという職員に検札を求められた時、 無刻印の場合は不正乗車と同格の罪と見なされ、 正規料金の60倍の罰金が科せられる。




検札器 検札器



   ただ、どうだろう・・・乗車券を購入しているのはリュックを 背負った一見で旅行者だと判る身なりの姿ばかりで、購入方法が理解できないで 券売機の前で格闘した挙句(タッチパネルの感度が悪いこと も要因、)駅員を呼ぶ恒例の駅前劇場ばかりが目についた。地元住民は当たり前の様に 素通りしており、定期券という代物が有るのか知らないが、実際に購入している だろう人間は極端に少ない印象を受けた。


   抜き打ち検査の巡回駅員も、 私がアテネで乗車した何回かの機会において、車両に その様な職員や車掌が現れることはなかった。




   プ〜プ〜プ〜、プッププ〜〜〜、ププププ〜〜ププ〜




   地下鉄の乗っていると、 アコーディオンのカーテンを揺らしながら、場違いな 音色が車内に響くことがある。車掌 の代わりに、よく車内を巡回していたのが、このような物乞いだ。 語弊があるなら、大道芸人といったところの人達だ。この場合、演奏者が父親で 傍に彼の4〜5才の子供がいて、片手に持った帽子を裏返し、中に駄賃を 入れるように催促する。


   私の旅行の場合、地下鉄は何回か使用したが、空港界隈や ピレウス港へ向かう途中路線など、比較的郊外で目する 機会が多かった。私情で1ユーロくらい差し上げたかったのだが、まわりの地元民は 無視を決め込み全く相手にしていなかったので、私も倣って終わってしまった というのが実情だ。





ライン3 ライン1




   アテネ市の地下鉄は、現在3本走っている。市内中心部のド 真ん中で3本がクロスする様な形の路線図だ。 空港までを 繋ぐライン3、ピレウス港までを繋ぐライン1、と残りの一つが市内を 南北に貫くライン2である。ライン2には「アクロポリ駅」がある。


   ギリシャ最大の観光地である アクロポリスの丘の入口に通じる最寄り駅は、東寄りの「アクロポリ駅」と、 北寄りの「モナスティラキ駅」あたりになるだろう。 どちらも一長一短ある。


    アクロポリ駅からは、 緩やかな登り坂が続く直線であり、途中の坂には『新アクロポリス博物館』 もあり、 初めてアテネに来て、丘を目指す旅順として迷う事はまず無いだろう。 反対側は、道路を挟みゼウス神殿もある好立地の駅だ。


    一方、 モナスティラキ駅から南下するコースは、階段が多く、小路が入り組み、私のような 方向音痴であると迷ってしまう可能性もある。反面、お洒落な 飲食店や、また、アゴラへのアクセスが簡単であるという利点をもつ。


    これら代表的二駅や各観光地と、周辺の土産屋や飲食店タベルナを含めた 地区は、総括して『プラカ地区』と呼ばれている。 ちなみに新潟駅南の商業地区「プラーカ新潟」はこれに由来する。



プラカ地区 プラカ地区 プラカ地区


   プラカ地区の境界区分は曖昧で、 高級ブランド店が並ぶ近代的な地区 もあれば、 オレンジ色の屋根に白い外壁が印象的な南国風民家が集合している 地区もある。


    この 異国情緒のある伝統的な家屋が並ぶ道は、アクロポリスの丘の東から北にかけて集中して 広がっている。19世紀からの古道由来の地区で、特にこの辺りの 道が迷路の様に入り組んでいる。 チョッと保守的な地区でもあるが、 道路脇には教会も沢山あるので、 ただ通りを眺め歩くだけでも楽しい。



プラカ地区 プラカ地区 プラカ地区




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