獣人王頭は人間、身体はライオン、と一見怪物を連想させるスフィンクスであるが、 古代エジプトでは頭部と身体の各々が、ファラオ王と百獣の王の擬似化であり、 更にそれらを併せた力の権化、威厳の象徴という意味合いでもあった。 全長57m、高径20m、一枚岩から彫った巨像としては世界最大の造形物 になる。全体的なバランスで云うと、前足から長い胴体、そして後足から尾に至るまでの堂々 たる体躯であるのに比べ、頭部はやや小さい。これは、紀元前2500の当時 絶大なる権力を掌握していたカフラー王がその頭を 自分に似せた顔に挿げ替えたためだ、との説がある。この仮説に依れば同時に、スフィンクスが 古王国時代よりも昔に存在していたモニュメントである、との方程式も成り立つわけだ。 |
この紀元前2500よりも昔にスフィンクスが建造されていた、 という説を唱える者は多い。 スフィンクスの在所はピラミッドより一段低い窪地に在るが、 周囲の岩壁には水流による浸食痕がある。 これが西岸域が砂漠化する前に起こった 雨痕に由来するものであり、ピラミッドコンプレックスとはスフィンクスを起点として 段階的に増設された集成である、 と結論付けている。左様に主張するのはアメリカの地質学者ロバート・ショックである。 サハラが今よりもずっと気候が変わっていた頃は、地方にも雨が 降り、石灰岩部を穿つ程の降量であったという。彼が論じる所の、 降雨が激しかった頃の、ザッと紀元前5000 〜7000年前にスフィンクスは造られた、と云う学説は結果として現在から 推定される更に最大2倍近く前の古から、その年月を 経過してきた、という事に成り得る訳である。アカデミックな考古学者の常識からすると 、かなり素っ頓狂な話だと方々で批判されているようであり、 年代的にもかなり大雑把な学説はであるが、 彼の職業柄、地質学者らしい面白い物の捉え方であろう。 エリア内の入場は2つの道があり、東側から望むに右は 発掘隊専用道路で通行禁止であり、一般見学者は左側の通路から入場することになる。 |
首から上は誰だったのか?実際にこの巨像を目の前にすると、全体的な モデリングバランスからでも、頭部の矮小さが際立ち妙な違和感を 覚えるのも確かである。ツタンカーメンの黄金のマスクに見られる 造形美や、天文学の知識を駆使したピラミッド配列など、 包括的な全体バランスや相対的な比率尺度を重視する、 丁寧な古代エジプト人の仕事からみても、この巨像に至りては 一種の「お粗末さ」さえ感じる。ここから先は‘仮の’はなしになるのだが、 では後世に首が挿げ替えられた(正確には一枚岩ゆえに、 そのまま既存の頭部を2度彫りした、との主張)とすると、 以前は誰の、どんな形の頭が居座っていたのだろうか? これにも、様々な説が存在するようである。 根本的に頭部は人間でないとする説もある。 鎮座する残りの胴体部における筋肉の付き具合、 塑像の限界性からも考慮するに、それは『アヌビス神』 である、とも主張されている。アヌビス神は古代エジプトにおける 神と崇められた存在で、死を司る神であったという。風采はズバリ「山犬」である。 もともと、ギザの台地はピラミッド建設以前から聖地とされ、信仰の 対象になってきた処でもある。古代のエジプト人は ナイル河を割った太陽が昇る東側を生の域、太陽が沈む西側を死の域として 捉えてきた。西にあるギザの台地には、その象徴として冥界への先導神である アヌビス神を逸早く祭った、という訳である。 様々な説があるようだが、確定的な事象は何一つない。 後世、多くの人々の探究心や浪漫を掻き立てて止まない永遠の物言わぬ語り部なのだ。 |
こんなよい朝日を一人で見て寝る以下、当項目は後日談なのだが、スフィンクスのある裏門での顛末だったので 一緒に併記する。ことのおこりは4日目の早朝、ホテル先で突然いつもより 早く目が醒めてしまい、唐突に、何の疑いも無く思った訳なのだ。「あっそうだ、ピラミッド御来光を撮りに行こ〜っと」 |
暗がりの中、カメラ一つ片手にサンダルをつっ掛け、1人で
入場門の前まで来たのだ。当然、エリア内は
時間外なので入場不可であり、門前での撮影となる。
巨大モニュメントを仰ぎ、その際から
黄金色の太陽が昇る、そんな絶妙なシャッターチャンスを収める事ができれば最高の
旅の思い出になるに違いない!ワクワクしながら、その瞬間を待って
いたのだが、周囲は闇夜の帳が明けても、徐々に白み掛かった朝靄が漂うだけで
、なかなかどうして、
頭でイメージしていた様な強烈な射光とコントラストが
再現される時間は終に来なかったのだ。 おっかしいなぁ〜、よくよく考えてみると太陽は 東から昇り、西に沈むのである・・・・つまりは西方向を向いたこの地点 からのアングルでは、朝日をバックにした ピラミッドの絶景など未来永劫有り得ないのだ。 こんな簡単な宇宙の理を全く無視して、ピラミッド御来光という理想の具現化だけを 追い求め、軽率にも早朝5時に ホテルよりこんな遠路くんだりまで来てしまった。一体何をやっているのだろうか、 もう長居は無用なので早々に帰り 二度寝してやる事にした。 結局は恥かしながら、絶景激写という起点は早朝散歩という機転 に成り下がってしまった。せめてもの記録写真として、日本でマスコミによって 有名になったKFCの店舗の雰囲気や位置など、収めておいたので参考にされたし。 |
ついでに言うと、当地区はピラミッド観光の1つである、「音と光のショー」の 入場口でもある。毎日夕刻より3回、ノリノリノサウンドのなか ピラミッド斜壁に有色ライトを当てるとい う余興で、それぞれの日ごとに対応の言語でアナウンスを流したりと、 なかなかの人気らしい。ほぼ、外国観光客向けのものらしく殆ど アナウンスは英語であるが、週1回くらい日本語対応の機会もある。 |
一応フォローしておくが、夏至の日没時には当地、 スフィンクス前のロケーションから西方向を望むと、クフ王とカフラー王 のピラミッドのど真ん中に没していく劇的な日輪像を眺めることが出来るようだ。 古来より参拝者に強烈な印象を 与えるよう、古代エジプト人が 天文学を駆使し緻密に計算したピラミッド本体の配置さえもが 、後世何千年もの間、威厳や叡智として、更には 経済効果さえも享受させ得る結果として 生き続けているわけなのだ。 |
車に乗り込み、ホテル前までの送迎で終了という事となった。裏門から 大通りに交差し直進すればホテルはもう目の前だ。車窓から返り見るに、 この通りにも、たくさんの人々が行き交い、また 立派に人々の生活の営みがあった。日常の当たり前の風景の中にピラミッドが 在るなんて、何だか凄く羨ましくさえ思った。 |
只今の時間は午後2時。 非常に半端な時間帯である。旅行企画会社側としては一連のギザ観光の後、 午後からはオプションとして サッカーラ、メンフィス、ファラオ村、ディナークルーズ等を 用意しており、また、それらを消費して欲しいという意図があるようだ。 ガイドから説明を受けるも、しかし元来けちな私に選択の余地は全く無かったのだ。 やがて車はホテル前に到着した。 さて、これからの時間はどうしたもんか?再度市内に出て イスラーム地区のモスクを巡ってみるとするか。あっそうそう、では早速ガイド に教えてもらった運賃1£で乗車できるマイクロタクシーを使ってみよう。 |