生きてる事が功名か

夜が明けた

   本日は念願のギザのピラミッド観光だ。 ツアー企画に併行されていた内容であるがピラミッド内部にも入場を果たせ るとあり、早朝から一人テンションが高い。結果、昂じて腹も減ってる。人間の摂理だ。


動かないですぅ>< 朝食


   スキップを踏み‘階段で’グランドフロアまで降りる。 このホテルはレストランショップが朝時間には宿泊客の朝食会場と成っている。 ビッフェ形式で食べたいものを皿に載せて運び、 好きな所で食べればよい、という至ってフツーの方式なのだが、 内容も至ってフツーだった。オカズの種類は比較的豊富だったが 、6泊の間に1回もメニューが変わる事はなかった。なので 後半日になると、どのチェーフィングに何の料理が入っているのかを暗記するまでに至り、 最終的には蓋を開ける行程で独りペアマッチ(現在はLOVEキャッチに代用)として 自分なりの遊びを開発し、それを愉しむまでに昇華させていた。一番多く食べたのはゆでたまご。



エジプト騒乱

   8時にロビーに集合。周りを見渡すが日本人はおろか観光客と 覚しきは私しか居ないようだ。そのまま待機していると、果たして定刻通りに 男性日本語ガイドが登場。年は30前後だろうか、やや浅黒い肌、短髪の巻き毛で 黒のレイバンを軽く鼻先に掛けていた。一見DJのような風体だが、私に近づくなり こっちが恐縮するような、くの字の深々お辞儀をみせた

『こんにちは、レダと申します。遠き日本より、よくおいでくださいました』

   極めて日本的で礼儀正しい対応だ。 こんな私一人のみで催行してもらう局面では、ほぼ‘パートナー’という意味合いに まで転じるガイドという存在は、その人間性や対応如何で旅の楽しさを 大きく左右するものだ。そんな観点からみても、かなり好感触で 日本語の習得具合からも正確な意思疎通が図れ、色々な現地の 知識を得ることができそうだ。

   それにしてもこの観光客の少なさはどういうことなのだろう、それとなく 訊ねてみた。11月といえば、気温も安定することからエジプトでは 一番観光に適した月日のはず。ここデルタピラミッドも名の知れた巨大ホテルにも 関わらず殆ど人を見ない。また私が朝食に要した20分の間、 誰とも出会うことはなかった。実際のところ閑古鳥が鳴くと云う形容が相応しい くらいだ。

『1月にデモ起きました』

   なるほど、彼の言うデモとは2011年1月より発生した エジプト騒乱のことだろう。反ムバラークのスローガンの下、参加者は増加し 続け2月には鎮圧軍との衝突で死者が出たほどまで拡大したと聞く。最終的には ムバラーク退陣という形で転結しているが、小さなデモや小競り合いは今以て 何処かしらで起こっているようだ。この蜂起が原因で治安悪化のイメージを 招き、結果として海外観光客の減少という事象に繋がっているのだ。

『タフリール広場独り歩き気付けてください』

   と、レダさん続ける。タフリール広場界隈はカイロの交通の要であると同時に、 経済や文化、観光の中心と象徴でありえる場所だ。 この地で10万人単位の大集会が行われたのだが、半年以上経った 昨日時点での観光で(私個人の体験としては、) 特に危険を感じるような事態に遭遇する事は無かった。が、
   しかし、熱が極致に達した1月 末には暴徒が広場にすぐ近い考古学博物館 になだれ込みミイラを破壊したり、また海外ジャーナリストが暴行を受けたいう報道も されている。実際、考古学博物館は一時閉館していた時期もあった。
   という訳で、もしこれから旅行の予定がある方なら 念の為に外務省渡航情報HPに アクセスしておいたほうが宜しいでしょう。必要以上に怖がることはないが、 広場の妙な人溜まりには近付かないほうが懸命です。



あれがクフ王のピラミッドです!

   私とガイド、そしてドライバーの3人で マイクロバスに乗り込み一路正面入り口へと向かう。 ホテルよりファイサル通りを折れ、 マンスーリヤ運河通りに沿ってアフラーム通りと交差する地点、 ここを右折すると、やがて正門に至るのだ。

『あれがクフ王のピラミッドです!』
「あっ、はい」

彼の指差す先にクフ王のピラミッドがあった。


大渋滞 big Intersection great relics great relics


   大きい、兎に角大きい。入り口ゲートに入る前から既に 天を見上げるような高さで私の第二頸椎を圧迫し続ける。137m、 失われた頭頂部を含めると、その昔は146mもの高さがあったという。 車はそのままゲートをくぐりエリア内の観光ツアー用の駐車場で停車した。 エリア内は思ったより広い。効率的に移動するなら車があるほうが便利なようだ。


   個人契約などでチャーターしたタクシー は内部に車両を乗り入れない事がある。 主要ポイントだけをウロウロして 観て廻るのなら徒歩でも構わないが、パノラマポイント、 いわゆるリビア砂漠方向から3つのモニュメントを綺麗に写せる場所は、 徒歩での履行は避けたほうがいい。 中心部よりかなり遠く、1kmくらいはあっただろうか、 当地まで歩くとなると体力消耗の激しい夏場は、途中で倒れて煮干しのように 干乾びてしまう可能性もある。
   タクシー運転手によっては、スフィンクスのある 裏口門前に車を停め、さあ行ってこいとばかりに放置プレーを強要する 場合もある。



Box Office エリア入場券 ピラミッド内部入場券


クフ王のピラミッド Pyramid of Khufu





   チケット売り場は正面右手にある。エリア内全体の入場料金 は60£、ピラミッド内部入場は別途必要になりクフ王が100£、 メンカウラー王が30£となる。エリア内は広いので 内部入場を希望するなら、 初めからこれらを一緒に購入しておいた方がいいだろう。
   その他 、クフ王の脇に3つの小墳があり、こちらは女王のピラミッド と呼称され南方2つが入場可能である。それぞれ50£の料金だった。 正規の入場チケットはなく入り口に人が立っており、 その場で現金を支払う仕組み。料金設定には、 何やら従業員が人のモノや成りを見て決めてる風情があったので 、私は実際に入場しなかったが、 もしかして実値はもっと安いのかもしれない。


Pyramid of Queens Pyramid of Queens



女王のピラミッド Pyramid of Queens



悪質みやげ屋に気付けて!

   ピラミッドのデカさに圧倒され辺りをキョロキョロしていると、 1人の男が近づき親しげに話しかけてきた。

『Where you come from?』
「じゃっ、じゃぱん」
『トモダ〜チ、コレプレゼント』

   男は手に持っていた 透明ビニールに包れた綿製品を押し付けてきた。 旅行客の手の内にそれが受け取られない事がわかると、 今度は半ば強引に脇に捩じ込んでくる。

『気付けてください!』

   ガイドの一言でハッとした私の脇から、ポトリとそれは 地面に落ちた。白地のTシャツと思しき商品でビニールの端には 簡素なセロテープで封をしてある。観光地なら何処にでもありふれた代物だ。 埃と砂にまみれたその商品を拾って返してあげようと腰を屈め手を伸ばした、その時

『その必要はありません』

   と、ガイドの声が遮る。彼らの手口なのです、受け取った とみなされ商談成立になります、と私の手を引き安全地帯へ 誘導し、ニコリとしながら講釈を始めた。 みやげ屋には商品をただ並べておくだけの青空露天商のような受け身の形 もあれば、積極的に近付いてきて声を掛けてくる者もいる。 勿論、自由価格なので、 交渉により納得した価格になった時だけ購入すればよいだろうが、 先のように、こちらの事情など一切考慮する暇を与えず商品を 押し付け、一方的に金銭を要求することもある。 向こう言い値で法外な値段をふっかけてくる悪質なものが多いという。 言葉巧みに近付く手法も心得ており、

『Where you come from?』の問いに試しにアメリカと答えてみると、
『ディズニー、フレンド』と嘯く。彼等なりのマニュアルがあるようである。

   これらは購入の意思がなければ、 商品が落っこちようが如何しようが素通りして構わない。 言葉のニュアンスからフリーチャージの連想するが無料で配るようなことは まず無い。

   更に世間知らずの私に、ガイドは様々な注意点を教えてくれた。 トラブルの最たるはラクダ乗りの業者だという。もう、値段はあって無い様なもの。 £単位か$単位か、一律なのか時間単位払いなのか、 いろんな要素が絡んでくるのでしっかり事前に交渉しなければならない。 そして、ラクダとは意外に大きな生物であることを留意するべきである。 実際、立位状態で並べば軽く頭を超え2m近くあるのが判る。 成人が乗れば、その視線は3mは下らないだろう。 そしてその背に身を預けた後、ほぼ身動きが取れないのをいいのことに、 好き勝手に引導した挙句 に高額な料金を請求する非常に悪質業者の事例も報告されている。 ここでは日本人の倫理観は一切通じない。
   だが、ガイド曰く パノラマポイントで興行してる業者なら比較的安全であるとのこと。 日本円通貨が使用出来る業者もおり、 ¥1000、2000、3000と価格設定があり、それぞれに 応じた距離を引導してくれるそうだ。


大きい らくだに罪はない らくだに罪はない


在りし日のピラミッドとは

   ギザ台地は周囲に遮るものも無く、現在では砂漠のなかに 巨大モニュメントが3つそびえ立つだけの荒廃したイメージがある。 しかし、実際に付近を歩くと地面は只の更地ではなく、葬祭殿や参道、 女王のピラミッド、そして各ピラミッド を取り巻くように マスタバや小さな墳墓群が連なる、 総合的な巨大神殿だったことがわかる。
   古より、その存在意義が論じられ続けてきた ギザの大ピラミッド は王の墓であるという説が一般であるが、治水灌漑事業も兼ねていたのだろう とも云われている。完成した紀元前2500年頃、 在りし日のピラミッドとは、綺麗に化粧石で完全塗装 された巨大モニュメントの周囲にナイルの水を引き、水路が 整備されヤシの木やソテツが生い茂る大庭園のような佇まいだったのかもしれない。


クフ王東側地面 クフ王東側地面 クフ王東側地面 Eastern cemetery


クフ王のピラミッド 東側墳墓群 Pyramid of Khufu Eastern cemetery




   ピラミッドは古王国時代に西岸部に 盛んに作られ小中含め108個ほどあるが、どれもギザの台地に 在り水害に備えた立地に建設され続けた。これは、ナイルの氾濫が 現在よりもずっと大規模だったことの現れなのだろう。
   やがて、3大ピラミッド建設を頂点にその隆盛と情熱 も下り、ピラミッド自体も小規模かつ 雑なものに成り下がる。やがて、古王国時代500年間に盛んに増設され続けた これらの事業も終焉を迎えることになるのだ。




クフ王 クフ王 クフ王 Boat pits


コラ〜、そこのチミ〜!

ピーーッ!ピーーーーー!
突然笛が鳴る。ガイドが笑いながら言う。

『あそこに入り口が見えるでしょう?あれより上に登ると怒られます』

   正面中央に大きな穴が見える。その下に小さな穴があり、 ここには見学者が列を成している。彼の言う入り口とは此の事だろう。 底面から5段目辺りの位置、 その付近にいる白い制服姿の男が、ふざけてピラミッドに登り始めた 観光客に向かって警笛を猛烈な勢いで鳴らしているのだ。
   登るといっても、そう簡単にはいかない。なにせ個々の大きさが1辺1,5m 近くあり、上方に手を掛け1段1段よじ登ることになる。 自宅の階段を気安く上るのとは訳が違うのだ。その昔、観光客が頂上を目指し よじ登っている最中に風に煽られ落下死亡事故が起きたという。以来、 登頂は禁止になった。なのでこれは道義的意味合いよりも、純粋に 危険だからと云うのがその理由なのだろう。


entrance 登頂禁止



   最前まで来て、唖然とした。

   巨石を目の前に、てっぺん目指すなどと秘かな野望は 棄てざるをえなった。しかし、しかしだ、1段目からこんなに大きければ たとえ5段上といえど、この先どうやって入り口まで行けばよいのやら・・・・ やさをとこ、を自負する私にはかなり過酷な試練になろう。 せっかくエジプトまで来たのに、内部入場を果たせぬまま帰国する 事になるのやもしれない。 局面打開の端緒つかぬは、やがて抑えられない 自我の崩壊を招く。

「1段目からこんな大きいんじゃ、もう終わりなんですよ、はぁーはぁーはぁっ」

   うろたえる私に、ガイドは常に優しく、そして紳士的に 助言をくれる。こちらです、と促された先に簡単に登れる階段が出現した。



こちらです 階段 entrance


ピラミッドパワー

   現在 入場が許されているのは、盗掘孔と呼ばれアル・マムーンが開けた下段の入り口である。 持ち物についての 簡単な質疑応答を受け問題なければ、いざ内部へ! カメラ等があれば入り口に常駐している 役員に預ける。

   道成りに進む。ここは、やや蛇行する土道で埃っぽく、いかにも こじ開けた感があり雰囲気が出ている。 光はランタン型の電燈で繋いでおり、側壁の所々にある凹みから供給されて いた。
   突当ると上昇通路に至る。ここは石で囲まれた 正方形状の既存の通路なのだが、屈まないと頭を打ちそうなほど狭い。 手摺があるが勾配は26度ときつく、横幅も1mくらいしかないので上からすれ違う 人があると、かなり身動きは取り辛くなる。

   登り切ると突然視野が開ける。大回廊と呼ばれる 場所に到達だ。この地点で最上部への半分程度の行程を終えている。 距離的には入り口から50mほどの地点であり、2又に分かれている構造だ。 下道は、女王の間へ通ずる水平路なのだが入道は禁止。 上道は、縦長かつ天井に向け段々と先細りの構造になる、 その構造は日本式の屋根を連想させた。 広い、という表現よりも 、高い、が相応しい表現だろう。高径は8,5m、幅径は2m、全長は46mもあり 名の通りの大構造なのでスタスタと問題なく 進むことができた。

    この大回廊を更に登りきれば、そこはピラミッドの心臓部、 呼称では「王の間」と呼ばれ石棺が置いてある部屋に到達するのだ。 地上60mとあるに、尺度的にもほぼピラミッド構造体の中心部であり、 面積5×10m(たたみ34畳)、高径5,8m、天井石に至っては6mの一枚岩が 5枚重ねられ、一番重いものは60tあるとされている堂々たる一室になっている。 別称は「重力軽減の間」と、ある。力学的には空間にかかる重力4000t を分散させるために、この構造になっているという。

   ピラミッドとは、この様な大部屋や大回廊を考慮しつつ、 1つ2,5tもある巨石を順々に230万個も積み上げ続けた建物なのだ。 今から4500年も前、クレーンもダンプもない大昔に名の通りの 金字塔をやってのけたのだ! 改めて、このピラミッドの設計者は天才だと、その偉業と 畏敬の念に浸っていると、

「はうあっ!」

   すでに部屋には10人程の先客が居た。 彼等は石棺を取り囲み、互いに手を繋ぎ輪を形成し 一心不乱に何か呪文のような言葉を唱えていた。 中央石棺は小振りなれど、ひと一人入るには十分な大きさ。よく見れば ここに4〜5才の少女がスッポリ収まっている。やがて、中に入る人と 廻りの人は順番に交代していくという具合に進行していく。 何かしらの儀式を行っているようだ。 いわゆる、ピラミッドパワーを得る為なのだろう。 この理念に基ずく団体であろう事は想像できた。

   ピラミッドパワーという言葉の是認は比較的最近のはなしのようである。 アントワーヌ・ボビーがピラミッド内部で猫のミイラが腐らずに乾燥 していたことに端に発し、 様々な効能が有るのだと、諸説入り乱れ語られ続けて現在に至る。 その内容には、

・精神の安定
・病気の回復
・腐食の抑制
・剃刀の錆びが再生した

   など、がある。私も本HPを開設するにあたりこれら事象の 探究を試みてみたのだが、なかなか民明書房刊並の不確定な引用だったので、 言及は避けておく。ただ、アントワーヌ・ボビーが1930年に クフ王のピラミッド内部で乾燥遺骸を発見し、何かしらの見得ざる力を感じた ことは事実であり、また、世界の七不思議に語られる巨大建造物において現存するのは ピラミッドのみである、という事実自体がピラミッドパワーの賜物なのだ 、というのが神秘主義者達の言い分でもある。

   そのまま踵を返し、もと来た道を帰り出口に至った。


クフ王のピラミッド 東側墳墓群2 Pyramid of Khufu Eastern cemetery 2



正面大門 クフ王東側面観




   車に乗り込み次なる目的地カフラー王の ピラミッドに向かう。移動中もガイドが 積極的に話し掛けてくれ、旅人をもてなそうという気心を感じる。

『私ね、日本のこと大好きなんです』

嬉しそうにシート越しに身体ごとこちらに向かって続ける


『今度ね、日本旅行に行くですよ』
「ほう」
『東京行って、富士山行って、京都にも行きたいですねぇ〜』
「大旅行ですね」
『日本には富士山がありますが、エジプトにはシナイ山があります』


   富士山という単語から新たに話を展開させ、シナイ山の 説明を始める。人の気分を飽きさせない上手い対話法だ。シナイ山とは、 エジプトにあって標高2285mもの高さを誇り、聖書においては モーセが神から十戒を授かった聖地、とされる 山で修道院もあり巡礼として欧州などからも沢山の人々が訪れる場所だ。


『この間ね、日本のドラマ見て泣いちゃったんですよ』
「ほう」
『どんな、ドラマ好きですか〜?』
「えっ、え〜っと・・・・」


   ドッ、ドラマとな・・・・しばらくドラマなどまともに 見ていなかったなぁ。無下にドラマなど見ないなどと、一方的に返答するのも憚れる というものだ。彼なりに拙い日本語ながらも一生懸命コミュニケーションを 取っている、その心意気を汲んでやらねば。たしか、一番最後にみたのは、 14才の母、だったような・・・


「フォーテンマザー」
『what?』


   うっう〜、14才で妊娠したことが衝撃的な事象の趣旨なわけ だから、そのニュアンスを含んだ題名でなければ・・・え〜っと、妊婦 とは英語で何と言えばよいのだろう・・・ええいっ、こんな事なら駅前留学 でもしておけばよかった、


「ふぉおーてん うーまん ういずいん ちゃいるど〜!?」
『あれがカフラー王のピラミッドです!』
「あっ、はい」

彼の指差す先にカフラー王のピラミッドがあった。



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