オールドカイロはナイル河の中洲のローダ島の南方に位置し、 地下鉄マル・キルギス駅の目の前、というロケーションだ。コプト教の母体は キリスト教であるので、ここは欧州からの観光客も多く地区の風景も一変する。 ローマ帝国の分裂と分派の伝来395年のローマ帝国の東西分裂に沿って、キリスト教も 同時に分裂した。西方はローマカトリックとして、東方は東方諸教会として、 それぞれ分派し東ローマ帝国の占領を受けていた エジプトには東方宗派として伝来した。以下、イスラム教の興りと 伝来までの間、つまりはビザンツ帝国時代の期間、 この原始キリスト教の流れを汲む東方諸教会は国教として定められる。コプト教は現在、 東方正教会の一派として捉えられているが、根本的な派生は 原始キリスト教会から始まる東方諸教会であるので、事実上の別派と譬えていいのだろう。 教会内にはイコンやマリアのタイル画なども認めることができた。 コプト内でも、正派は東方に倣うことが多いようだが、西方に歩み寄った新派もおり、 暦の日取りも2派に相違がでて、クリスマスのそれが、各々1/7と12/25 になるのだという。 欧州との 陸続きの地理的な要因と、長い歴史の中で迫害や改宗などの変遷を辿ったゆえの 西方や東方の合理性や道理、そして時代の先見性を取り入れ、 独自の発展と残存を果たし、後世への伝来してきた結果なのだろう。 |
コプト教の信者数は、現在エジプト国民の1割に上り、また ムスリムとコプトの差別化はなく、憲法によってその宗教の自由が保障されている。 元来、アラブ人の母体はセム語族であるとされており、その少数派としての、 古代エジプト語由来のコプト語を話すハム語族がコプト教信徒である、とされているが、 民族的な由来は同一であり、その視別はない。 |
教会周囲は細い路地が入り組み、それぞれに土産屋などが立ち並んでいた。装飾、 毛織物、などを含めコプト美術と呼ばれているようだ。 小路の先の それぞれに聖ジョージ修道院、ジョージ教会、コプト博物館、 シナゴークなどがある。職員、観光客共に とても厳粛な雰囲気で、若干たじろぎの感を覚えたが、 一言ことわりを申し出れば快く入場させてくれた。 |
カイロ市の興り聖ジョージ修道院を退場後、そのままマル・キルギス通りを北上し、 バスターミナルを越えたあたりにガーマ・アムルがある。エジプト最古の イスラーム寺院であり、これより東方一帯はフスタートとよばれる嘗ての首都であり、 カイロ市発祥の地でもある。その後、約500年の間、行政、産業の中心であった が以後は荒廃の一途をたどり、ゴミ置き場として使用された経緯もある。 現在は更地が広がるのみで、数百年もの堆積したゴミ層 が発掘を困難にし、見渡す限りの荒野になっているという。ガーマ・アムルの創建は641年である。ガーマ自体も120×110mで カイロ市中でも最大級な格にあたるそうだ。 |
サラーム・サリーム通りを西に進路を取れば、 ギザ広場に繋がる。周辺でマイクロタクシーを拾えば、 調度良い時間にホテルに到着できるだろう。そのまま徒歩で独り往くも、 遠く南の水上に目を向ければ 可笑しな形の橋が見えた。モナステルリ橋だ。木製の大型橋でオールドカイロ とローダ島を結んでいるという。 思うに、残りの滞在日数を照らし合わせても 、最終日は昼頃の出国になり、およそ自由に動き廻れるのは一両日しかないだろう。 事実上、遠出できるチャンスは明日しかあるまい。 さて、どうしたもんか?カイロ近郊の日帰り観光であるとすると、 もはや、北上のデルタ地帯の選択になるのは必至だろう。付近も、なかなか魅力的な都市が多い。 アレキサンドリアで地中海を望み、クレオパトラ時代の繁栄に想いを馳せるか、 はたまたロゼッタで港の潮風を浴び大河ナイルの河口にて、その偉大さに感銘するか、 いや、スエズ運河に行ってみては、その行き交う巨大船を眺めて過ごすも、いいかもしれない。 と決めかね矢張り のステレオタイプの行動に、ガイド本を再びバサバサと見開く。 その時、フッと目に飛び込んできたの が「サール・イル・ハガル」だった。コレだ!副題は、訪れる人も少ないデルタ地方最大の遺跡。 と、ある。 「これしかない!」 |