生きてる事が功名か

6日目の朝になった


「サール・イル・ハガルに行きたいんだけど、ドライバー紹介してくれない?」
『ほう』


   ボーイに無難な人選でドライバー手配をしてもらおうと、 そう告げると、ニヤリと一瞬表情を崩した。


『やるな、あそこは巨大像の乱立するグレイトルーインだ』
「ん!?」
『しっかり楽しんでこいよ!ちょうどイイ奴がいる』


   ポンッと、軽く私の肩を叩き、そのまま携帯を片手に 新たなドライバーを呼び出し始めた。待つこと10分くらいで 登場したのが、ワリーリという名の男だった。一見してアラブ人では 無いとわかる。眼の虹彩は緑色で、肌も白みが強く、また 頭皮は頭頂部エリアでは毛細胞の一片のかけら も無い程に禿げ上がっていたが、側頭部に辛うじてへばりついた状態の頭髪には、 ややブロンド色を帯びた片鱗を残していた。ヨーロッパ系だ。聞けば エジプトとギリシャのハーフだという。年は50歳前後か。親族の出身が アレキサンドリアなので、当地やデルタ方面の地理に詳しいのだという。

   読書でもしていたのだろう、脇腹あたり には、栞が挟まれた分厚い本が抱えられているのが見えた。 彼自身が常時携行し何度も読み耽るが所以か、側面には指形に汚れの線が付いていた。 その本は、表装の豪華さや幾何学模様からいって、おそらくコーランなのだろう。

    2~3言葉を交わしただけでも何というか、 とても真面目、でもあり、とても几帳面とでも喩えればいいのか、そんな性情を感じた。 表情には、僅かな笑みを残し、発生される声にはどこかしら気品が あった。 タクシードライバーというよりは、牧師や聖職者のような佇まいで、 アラブ人一辺に見られる軽いノリがない。とても誠実な性格が顕れているのが わかった。直ぐに、このワリーリと 運賃交渉をして、 カイロを出発することにした。その時の時刻9:00であった。


北へ

   サール・イル・ハガルはカイロより、150kmくらいの 北東の位置にある。北部のデルタという地形では、扇状の枝本の部分にカイロ市が 在り、各地方に向かうには頂点のカイロ市から、方位ごと発生している 幹線道路の枝分かれを選択しながら運転していくことになる。 その行程は、逆トーナメント表の様な図解の旅順ルートをとる訳だ。

    サール・イル・ハガルが北東、右上にあるとすると、アレキサンドリア は対極の北西、つまり左上に位置している。 彼はアレキサンドリアへの旅順や地理、市内に点在する観光に相当に 詳しく、その素晴らしさを切々と説く。
    地中海の太陽と、綺麗な海、 そこに溢れる豊富な海の幸、沿岸界隈でも屈指の 大リゾート地だ。今まで、 あまたの観光客を案内し、感動を共有してきたよ。 お前が行きたい、サール・イル・ハガルなんて、 こんなマイナー遺跡、誰も好んで行く奴は居ないよ、と。


『今なら、間に合う。アレキサンドリアにしないか?』


   車を走らせ始めた、その 枝分かれの初期段階では、まだ方位的な修正が可能なようで ジャンクション毎に、目的地を変えよう、と捉すのだった。


「いや、サール・イル・ハガルだ!」
『物好きな奴だなぁ・・・』


   デルタの地方道路には、標識が無い。各分岐から 正確にルートを取るには、露商や付近に 屯している現地人に直接道筋を聞く以外ないようだ。 なので、信号もなく、ほぼ直線しか引かれていないその道路を、 可能な限りの速度過多で調子よく驀進していた車は、道筋を聞く為に イチイチ減速を余儀なくされた。 サール・イル・ハガル地方に限っては、ワリーリもアレキサンドリアほどには土地勘 がないらしく、路肩に駐車した状態で1人降車し、現地民と話、またエンジンを 掛ける、という繰り返しで、そのテンポの悪さを露呈するのだった。

    末端道路の網目上の地域に至ると、 もう迷路のような状態になるようだ。標識も案内も無い、その行く末に旅人を 引導する苦労は、彼の生業といえど、(他力本願の構えで無責任な言動だと自重すべきだが、) 結局は相当な面倒臭さが有るだろう。 彼の熟知するアレキサンドリアの旅順ならば、 幾分か、否、かなり彼自身の催行も楽だったに違いない。 若干の後ろめたさを感じた。それでも、最後の方位修正のチャンス であろう、比較的大きなジャンクションを目の前にして彼は言う。


『今なら、間に合う。アレキサンドリアにしないか?』
「いや、サール・イル・ハガルだ!」


すまぬ、ワリーリ。今さら考えを変えるつもりは無い。


『フッ、おまいにゃ負けたよ』
と、かぶりを振るって彼は苦笑した。


デルタの気候

   時計に目をやると12時を過ぎていた。 もう、出発から3時間は経過しているだろう。 正直、思った。本当に到達出来るのだろうか?傍目からは、路頭に迷ってる 風にしか見えない。 車窓を見れば、相変わらずの砂丘と電線の連続しかない。 それ故、チョッとした針小 変化は余計に棒大に感じる事になるだろう。 ・・・・地平線に霞むキワ部に、薄い層状の雲が出て来る のがわかった。ワリーリは私の膝越しに、 徐ろに助手席のダッシュボードを開く。


『それを出しといてくれ』
「ん!?」


    安全運転を図るゆえに目線は前方に向けたまま 、顎振りだけで、中身を取り出すよう私に指図をする。 中にあったのは、おそらく彼の意中とする物は、 タオルの事なのだろう。言われた通りにタオルを取出しておく ・・・・すると、間をおかずエジプトにあっては思いもしなかった、 大粒の雨滴がフロントガラスを殴打し始めた。もう暴力的な打擲ぶりは、 にわか雨という風情では無い、そうスコールに近いだろう。まさに青天の霹靂。


『デルタの気候ってのは、こんなモンなんだ』
「雨が降る」
『そのとおり』



rainy road



   ギザやカイロは乾燥気候区であるが、アレキサンドリアや デルタは地中海性気候区といわれる区分にあたり、その性質は国内にあって も異質特化な存在であるようだ。 カイロよりも総じて気温も低く、私が行った11月は デルタに限っては雨の降る季節でもある。渡航前は、 ここエジプトにあって、こんな豪雨に遭うとは思ってもみなかった。 雫に濡れた体面を保持しながら、そしてフロントガラスを介した 景色を暈したままに、車は走り続けた。視界は極端に悪い。


『チョッと待っててくれ』


   突然そう言って、 ワリーリはブレーキを掛け路肩に車を停めた。やや勢いも落ち、 一過する様相をみせ始めた車外に飛び出し、フロントガラスを 先程取り出したタオル で拭きはじめた。根本的にワイパーがぶっ壊れて機能していないのだ、この 車は。


『もう、大丈夫だ!』
「いや、全然大丈夫じゃない。整備不良で2点減点ですぞ!」


   普段は全く雨の心配のない ギザでの生活の為か、 ワイパーの故障如きに焦心することは、また同様に無いのだろう。 その後も、不幸にして第2波、3波の雨波の塊がやって来て、このワイパーの動かない 車は視野の明瞭度を極限まで下げたままで走り続け、 その脇を巨大なタンクローリーが追い越していく有様で、 正直、私は生きた心地がしなかった。



   さらに1時間経過、時刻は13時を過ぎた。 もう車中で4時間近く経った計算だ。しかし助手席に居て、何もしないくせに腹 だけは減ってしまう。そんな私の 気を察してか、ワリーリが露天で何やら買い物をしてくれた。


『時間が無いから、車の中で食べよう』



アエーシ サンドイッチ 筆者がよく通ったギザのお店 筆者がよく通ったギザのお店



   狭い車中で2人、屋台パンに噛り付いた。
実のところ、 これは非常に美味しいエジプトメニューなのだ。正直、国民的名物のコシャリ、は 2,3回食べたら飽きてしまったのだが、このエジプト式サンドイッチは 見かけ以上に美味しく、私的に 大のお気に入りメニューだった。 また、国内でもポピュラーな庶民食の一つな様で、 あらゆる通りで店舗を見ることができる。 左写真は正式にはアエーシというらしい。

   中身の構成も、 牛の切り身、漬物、特性ドレッシング、 豆や香辛料など、によって成されており、 その絶妙なる比率からくる理由なのだろう・・・・ひとたび 一切れが口腔内に侵入すれば、その瞬間から舌先に広がるハーモニーは、 食道を通過するまでの、その間に、無限の奥深い最高級の協和音を奏でる。 味蕾の上を跳ね上がる音符達は、互いに競い合うように、そして誇らしげに、 舌下神経を刺激し、ああ、不覚にも、食者の閾値を下げ続け感覚器の調度を狂わす。 肉質とパン生地が織り成す闘争に、程好く酸味の利いた 乳白色のドレッシングが、クセの付きがちな 蛋白や炭化物という我侭な素材達に浸透し、彼等を宥め、 同時に固有のアクセントを付加する。 青椒や人参の緑黄色野菜達がヒョッコリと顔を出しては 、個々の自己主張を展開し、 マンネリズムの音符列に転調を促す。 あくまで飽きを体感させない、この構成と進行は、 人類の経験則的遺産を踏襲した高度な楽曲作りの中にあり、 総括された調べは至福の極致、まさにプリ旨。

   兎に角、癖になる美味しさで 日毎夜毎ホテル の近場にある店舗に繰り出しては、狂ったように貪り食べていた憶えがある。 麻薬のような常習性だった。 長パンタイプは5£程度、小さい方は3£くらいが相場だ。美味しいのはいいのだが、 油で揚げるタイプのようで、手はベタベタになるし、 喉は渇くしで、相当にカロリーも高いのだろうことはわかる。


『どうだい?』
「ムシャムシャ、うまいね!」


    しかし、遠いな。距離だけで言えばアレキサンドリアより短いのだから、 もう到着していてもおかしくない。しかし 彼自身、この土地に不慣れなこともあったのだろう、 右往左往しながらも行く先々で、道筋を現地民に教授 してもらっている。その事が時間のかかる一番の原因なのだろう。

   時間はさらに1時間経過の14:00だった。 変わり映えのしない礫砂が連続していた車窓から、 切れ切れの破損し、亀裂の入った白い壁が続いているのが認識できた。 施設の一角が見えてきたようだ。その場所こそが、サール・イル・ハガルだった。 総敷地は4km四方になるという。正ゲートに 辿り着くまでにも、十数分かかるという広大なものだ。
   やっと到着したんだな。 砂丘状の剥き出しの領内に、無造作に巨石が放置させている荒涼なる 景観が、その実感を高めた。いよいよ、入場だ。



entrance entrance ticket



    古王国時代、第二中間期とあり正確には紀元前1786~前1552 年だそうである。中央集権が崩れ、エジプト各地に別王が乱立し西アジアより 国境を侵し、異民族ヒクソスがデルタ地方を中心に、その勢力を広げた時代 だという。 当地に措いて、その後、この異民族が 第15王朝のヒクソス王朝を樹立した。エジプトの史年鑑上では、 ヒクソス族に占領された 100年間は、ここサール・イル・ハガルを 首都として定義しいるようだ。


    敷地の中に、発掘された巨石がゴロゴロしている。ただ、それだけの状態でもある。 傍目からは、ただの放置にしか見えないだろうが、その1つ1つの 貴重性は高く、資料性にも価値があるのだろう。ワリーリも、各陳列物を 物珍しそうに見学し、常備していたカメラ機能付きの携帯電話で 、あちらこちらの角度から撮影しだした。 根本的にサール・イル・ハガルに来たのが初めてなんだろう、この男にとっても。 本国のドライバーでも、滅多に引導しないマイナー観光地であることは 間違いないのだろう。


『貴重な掘り出しモンなんだが、資金が無くて、ほぼ放置だな』


    そう言って、現れたガイド兼 職員は、我々を引率しながら史跡の説明をはじめた。 この日の観光客一行は、おそらく 我々二人のみ、なのだろう。昼には上がった雨が、 のち固まり、形作った未踏のツルリとした デルタ特有の地面に、歩く度に大きな瓢箪型の足跡が印記されていく。 自前の杖を片手に解説をする職員は、北全面に円を描いて指し、一帯の石物群の丸ごと を範囲して言ってのけるのだ。


『オベリスクだ、今のところ60本ある』


案内図 Obelisk Obelisk Obelisk Obelisk Obelisk


    無造作に転がる石物が、当たり前のように先端を細く尖らせ、そして ヒエログリフの記された方形遺跡は、また確実に、その 遠い過去からの膨大な量のメッセージなのだ。アムン神殿の 興りはラムセス2世から始り、プレイオマイトス朝にも改築がなさせたという。 第二中期~プレイオマイトス期とすれば、ザッとそれだけで1500年近い 歴史の変遷と、栄枯盛衰を絵巻してきたことになる。


ナイルメーター

    現地ガイドは、そのまま地下に通じる通路に案内してくれた。10m くらい下っただろうか、円形の直下穴に水が溜まっていた。 構造的には大型の井戸に例えればいいだろう。 ナイルメーターだ。
    定期的に氾濫していたナイル河は、その肥沃な土壌を 提供し豊饒の耕作物をもたらすと共に、大いなる脅威でもあった。 先人達は、その大規模な水面上昇を事前に測る為にナイルメーターを 各地に建設した。カイロのローダ島に在るものが有名であるが、 より河口に近いデルタ地方の、ここに存在するメーターも、また実用性の 高い物だったのだろう。


ナイルメーター ナイルメーター san al hagar san al hagar san al hagar san al hagar


サール・イル・ハガル san al hagar



サール・イル・ハガル2 san al hagar



    様々な発掘物があった。駆け足で観て廻っても、相応の時間を費やすだろう。



san al hagar san al hagar san al hagar san al hagar


サール・イル・ハガル3 san al hagar



サール・イル・ハガル4 san al hagar




   敷地の南には、王家のネクロポリスと呼ばれる史跡もある。 もとは地下に作られたが、見学の為に現在は地上に配置してある。 10m四方のスペースに石棺と壁面にヒエログリフと、見事な壁画が彫刻されている。 地下に降立ちグルリと周囲を見ると、やはり圧倒される。細密さや、 塑型の美しさは王朝の権威を伝えるものだろう。



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サール・イル・ハガル5 san al hagar



サール・イル・ハガル6 san al hagar



    往路に5時間に対して、見学を含め この地点でもう15:00を過ぎていたのだ。少なく見積もっても、 復路からカイロ到着は 20:00を過ぎ、また夕刻より始まるカイロ市内の帰宅ラッシュも相乗すれば、 より超過の時間を経過することになるだろう。 1デイチャーターと云えど、これ以上に観光を敢行し続け、 ドライバーを拘束するもの 忍びない。そろそろ帰ろうかとワリーリに申し出ると、


『いいのかい?満足できたかい?』


    と、あくまで私、観光客本位に気遣ってくれる。とても優秀なドライバーだ。 しかし、やはり申し訳ないので、15:00にて出発することに決めた。

    最終的に現地には、1時間くらいしか居れなかったが、帰路の車内でも 旅人を飽きさせないよう色んな 話をしてくれた。 エジプト国内で流行っている歌謡曲 をカーステレオにかけながら、ラダマーンやハッジ等の 年中行事、各地の治安や、対列強国への国民感情など、語られる内容は 面白い話ばかりだった。


「今まで、どんな客を乗せた?」
『日本人の他に、コリアやチャイナ、勿論ヨーロッパ系も多く案内した』
「ほう」
『何と言っても、ロシアの女は美人ばかりだったな、みんな』
「ほう」
『運転中も血圧が上がりっぱなしさ!』


そう言って、ハンドルを大きく揺さぶってみせた。


『それはそうと、ユーは、結婚はまだか?』
「そうだが、」
『1人の夜は何をしているんだ?』
「詩やポエムを書いているよ」
『そうか、ロマンチストなんだな』


すまぬ、ワリーリ。真っ赤な嘘だ。
夜な夜な、TVゲームに耽っているなどとは言えなかった。



デルタ夕日


   ここ、デルタ地方にあっても、その景観を成す要素と いえば、砂色と空色と、そして境を分かつ地平線のみだ。 何せ国土の90%が砂漠であるエジプトだ。 そんな、エジプトでしか 見れ得ない地平線を眺めていると、そして、いよいよ明日に帰国となる現実に直面すると、 なかなかに寂漠の感が込上げてくる。沈む夕日を見ながら、やや、 乙女チックな感傷に浸り、思わず無口になってしまうのだった。


『どうした?気分でも悪いのか?』


    10時間もシートに座り続け、運転し疲れているはずなのに、 最後まで旅人を気遣ってくれる。この男には本当に感謝という言葉のほかは無かった。 結局、デルタホテル前に到着したのは21:00を過ぎており、 付近は暗闇が覆っていた。最後に、その男と固い握手を交わして別れた。


『では、元気でな』
「ありがとう、さようなら」



㉑ハーン・ハリーリ

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