「メイドゥームに行きたいんだけど、ドライバー紹介してくれない?」 『ok』 「出来れば昨日のハマダのジジイがいいんだけど?」 『noだ!』 「ヒョッ!?」 ボーイに無難な人選で昨日のドライバー手配をしてもらおうと、 そう告げたのだが、どうも無理らしい。 『あの爺さんは年なので、遠いエリアには対応してない』 「そうなのか」 『お前の行きたいエリアは治安も悪く、距離も昨日の倍近い』 「そうなのか」 『当地の道路や地理に明るい奴を知っているが、呼んでやろうか?』 「たのむ」 チャータータクシーといえど、道路事情に詳しく、またエリアに それぞれ対応したドライバーが居るという事なのだろう。 また、この地方は 公共機関を乗り継ぎ、御気楽に1人で行くような安全な場所ではないらしい。 どうやら、あまり選択の余地は無さそうだ。 ボーイは携帯で何やら話し始めた。専属というわけではないが、 常時何人かが付近を含む他のホテル前にも路駐しており、 互いに連絡を取っているようだ。協会等はないにしろ 縄張りなども有るのだろう、付近で見るドライバーは大抵同じ顔ばかりだ。 数分でドライバーが到着。50才くらいのワイルド系のおっさんだった。 地図を見せ、メイドゥームとさらに奥地のファイユームへの履行を依頼してみる。 眉を顰め煙草をふかしながら、言う。 『メイドゥームはいいが、ファイユームは警察の許可が必要になるな、モクモク』 「大丈夫なのか?」 『ココじゃ、こんなの日常茶飯事だぜ!』 「そうなのか」 『やれるだけ、やってみよう。さあレッツゴーだ、モクモク』 |
砂上の楼閣その行程は、運河沿いを南に下るもので途中までは 昨日と全く同じルートである。 メイドゥーム付近では人々の姿は 随分と減り、景観は緑の田園が広がるのみだ。所々で忘れたころにヤシの木やソテツが、 その葉を誇らしげに広げていた。カイロから70〜80km くらいはあるだう。車は幹線道路を右に折れた。長く広い1本道だった。そのまま進むと メイドゥームのピラミッドが近付いて来る。その形状は四角錐というよりは、塔に 近かった。礫砂に浮かぶその姿は、まさに砂上の楼閣。 |
一見、砂山に建造されたように見えるが、実際は下部の 砂中にその母体が埋没している。底面から計ると、現在は高径72mになる。 完全真正ピラミッドとして、完成したした当時なら92mと推定できる。別称「偽り のピラミッド」 |
前時代のフニ王の建築事業を受け継いだ、次王ネスフルが完成させた のが本ピラミッドなのだが、その身中はどのようなモノであったのか?発掘調査 では、第一完成時は高径60mの7段式階段のピラミッドであったという。そこへ、ネスフル王 が新たに1段加え、もちろん基底面の増設も行い1辺144m、高径92mの 巨大な8階段ピラミッドとして、完成させた。この第二完成時の傾斜は73度もあった。 メイドゥームのピラミッド:72m(もとの高さ92m)、底辺:144m、勾配:73度 更に、 平らな辺に仕上げる為に、その角度、即ち52度の勾配が付与する化粧石を、 外表にパテ塗りのように身中ピラミッドの周りに積んで最終形にさせた。 この第三完成時が、ネスフル王が理想とした、各辺が直線で成す 二等辺三角形の構成ピラミッドで、その外観は実のところ現存する「赤のピラミッド」 より以前に一瞬の完成をみた‘史上初の’真正ピラミッドでもあった。 理想の外観に完成できた事に大いに満足したネスフル王は、 その後、ダフシュールの地に新たなピラミッド建築を着手する。 勾配は本ピラミッドの偽り完成時と同じく52度であった。 その後、やがてメイドゥームのピラミッドは表層部が崩壊してしまった。 やはり増改築には無理があったのだろう、 本味一体の総括的プランニングでないので、外周増築分の付加石は 自重圧力を外方向にベクトルを変え、剥離するように崩壊したようだ。 この結果、ネスフル自身も中途段階であったダフシュールの建築 設計も変更せざるを得なく なり、下部に比べ極端に下げた勾配での 石積で上部を完成させた。そしてそのピラミッドは、 外観上「屈折」という冠で命名される事になる。 これが、一般的に語られるサイエンシフィックシーセスだが、 勿論、多々異論もある。なにせ、 ギザの3大ピラミッドより昔の時代の創建なので、確定は難儀で不可能だろう。 もっとも、この崩壊から学習するところの、自重を内部に向ける為に 後の大ピラミッドの設計では 内部に迷路の如く、また広大な回廊を求め、圧力を相殺させたのだという。 |
内部入場は北壁の階段から可能になっている。全長58mの直回廊をひたすら 降下する。最下層に到達すると垂直に並ぶ通路が連なる。木製梯子で よじ登る感覚で、最上に玄室を構える。やはりその構造は合掌造りの梁のような 形だった。 |
マスタバ no17北エリアにはマスタバ群がある、外形は泥レンガ造りで 崩壊の一途を辿り、今は 崩れ小丘のようになって いるが、内部の通路は現存であり入場が可能である。 入り口の矮小さに比例し内部通路も細く狭いもので、通りは配線ケーブルで繋いだ蛍光灯が 弱々しい灯りを点すのみであった。 |
兎に角、せまい。屈んだその身で自在に動かせる関節や可動骨は、およそ 膝蓋骨と尺骨、大転子辺りに限られてくるだろう。下降道の最到達地点から、さらに直下穴 にリンクするらしい。ここは、まずその変地点まで行かねば話にならないだろう。・・・それに しても狭い。 直下穴が見えた辺りで、突然の断光。ブチッ 先客の団体の誰かしらが(断じて私ではない、)配電の供給 ケーブルに足でも掛けたのであろう、 接続部からの断線により、まさに一寸先は闇。 光の供給が全く無くなった先の場所は、数人の男女グループがなす阿鼻叫喚が響いている。 もう、これ以上進んでも面倒であったので、早々に踵を返し出口に至った。 |
北エリアには、ラーホテフと妻ネフェルトのマスタバもあり、付近は石棺や壁面彫刻を 観察できるところとなっている。 |
東寄りは、参道が海岸神殿と葬祭殿結んでいる。 石灰岩製の石碑があり、昔は王の名が刻んであったが今は 風化してみえない。内壁の落書きが唯一、ネスフル王と読める手掛かりであったようだ。 参道は210mあり、発掘は100年前に始まったが、地下水が多く作業は難航している。 |
小学生だろうか、大人に引率させた沢山の子供達が 列をなしていた。遠足か何かだろう、来た時よりも随分と賑やかになってきた。 車に乗り込み、次なる目的地、ファイユーム地方へ向かった。 |