生きてる事が功名か


   メンフィスは、マリオテーヤ運河を 挟み、西のサッカーラのほぼ対極に位置している。 西岸域のツアー行程も[サッカーラ→ ダフシュール→メンフィス]というものが一般的だ。文化価値としての同視感や、 1dayとしての時間配分的、 移動距離的にも、その枠に調度良く納まる選択になるようだ。

   ドライバーも慣れっこで、効率良く観光できるよう見学順も心得ている。 マリオテーヤ運河より、東の2つを観光した後に、 車は幹線道路を再びギザ方面に引き返し、 サッカーラ村の十字路を今度は西方向に折れた。 橋を超えて、そのまま邁進する と最後の1つの観光、メンフィスエリアの正門が見えてくる。

   そんなわけで、帰り道にあるメンフィスにやってきたのだ。



マリオテーヤ運河 サッカーラ村の十字路 entrance



古都メンフィス

   その昔、初期王朝時代というから紀元前3000年前、に首都 として興った最古の土地がメンフィスである。最盛期は70万人もの人口があったが、現在は 小さな村が在るのみで観光以外の産業は芽立ってないようだ。



entrance ticket



   入場口手前に小さな駐車場があり、付近にお茶や清涼飲料 が飲める小さな喫茶店がある。開館時間は7:30〜16:00で、エリア内は徒歩で十分に 履行可能であるので、ドライバーは外に待機させておくようになる。


『ゆっくり見てこいや、ワシぁー昼寝としゃれ込むわ。フォッフォッフォ』


   爺さんを1人残しゲートをくぐった。先ず右手に見える 建物に何気なく入場すると度肝を抜かされる。ラムセス2世の石像を展示する館だ。 完全吹き抜けの2階建て施設で、主たる展示品はこれ1点のみである。中央 横臥位による展示で 2階の回廊からも全体像が拝める様式になっている。全長は15m。




RAMSES U RAMSES U RAMSES U


メンフィス   ラムセス2世像(横臥)   Memphis RAMSES U




   ラムセス2世:エジプトの10賢の1人に数えられる 人物で第19王朝 の王であった。紀元前1304〜1237の長期在位に、さらに90歳まで生き、その 生命力も活力に溢れ、正妻4人に側室200人、子供も200人以上を残した男だ。 カデシュの戦いに遠征、のちに世界最古の和平条約を結ぶ。 アブ・シンベル神殿の建築でも有名。 エジプト国内の史跡でよく見られるのは、彼が各地の神殿で必ず自分の名を刻ませた 強い自己顕示欲の表れである。1E£の半価値紙幣、50Ptに肖像画をして描かれている。


肉球倶楽部

   敷地内のもう一つの見どころは、雪花石膏(アタバスター)製の スフィンクスだろう。アラバスターは白いものの形容として慣用句のようにも使われる。 実際、白く綺麗な鉱物 で塑像されたスフィンクスは、大きさこそギザに敵わぬ小振りな造りなれど、保存状態 も非常に良好で、爪の先まで確認できる細密さだった。



SPHINX OF MEMPHIS alabaster body alabaster body 左手


メンフィス  アラバスタースフィンクス  SPHINX OF MEMPHIS




   その身を返せば、指先に肉球の盛り上がりを予見できそうな程に、 各部にいたるまで呆れる作り込み様だ。 発見は1912年で体長は10mとある。




SPHINX OF MEMPHIS SPHINX OF MEMPHIS SPHINX OF MEMPHIS SPHINX OF MEMPHIS



   敷地内にも、沢山の土産屋がテントを構えていた。ギザエリアのような 強引な商人に出会うことはなかった。 都市部に比べると、 みな純朴でおっとりした性格の人ばかりだった。
   展示品はその他、この地からの出土品が一様に更地に並べてあり 英記による 説明がされてれいた。一番最後の 写真はミイラ作成台で、 聖牛アピスのミイラ作成に使われたもの、ということらしい。



土産屋 石柱台座 Memphis Memphis 石棺 ミイラ作成台



   一番奥には立位のラムセス2世像がある。



RAMSES U RAMSES U RAMSES U


メンフィス   ラムセス2世像(直立)   Memphis RAMSES U




   退場後、ギザに戻ることになった。昨日、カイロの中心街の 銀行で両替を試みてものの、大通りの大銀行にも関わらず¥対応していなかったので、 諦めて帰途に着いた経過であった。 どうしたもんかと苦慮していたので、爺さんに相談してみた。


『まあ、デルタピラミッドホテルじゃ両替も出来んからのぅ。フォッフォッフォ』
「ええ、本当に4つ☆ホテルなのか、と疑わしくなる格式です」

『市内でも、場所によっては円対応しとらん銀行が多いしな・・・』
「ええ、その名もエジプシャンバンクで両替が出来なかったんです」

『じゃあ、メナハウスに行くかのぅ。super luxury hotelだぞ、あそこは』
「期待を込めて☆5つです!」



ギザ到着 遣欧使節団



   ギザ到着からメナハウスオベロイホテルに案内してもらった。 大ピラミッドの正門にあって 、道路を挟んで目の前という立地だ。勿論、ピラミッドビュー ホテル。ギザの大ピラミッド観光には一番近隣で、 且つ一番有名なホテルになるだろう。 対面には広大なゴルフコートも有しており、 1869年の創業以来より歴史の舞台にもなったホテルで、 ルーズベルトとチャーチルが会談したりと、様々な逸話も残している。
   エントランスで手荷物検査を受け、恐縮ながらも小市民 ぶりを発揮しつつ、諭吉一枚を七百数十磅に両替致した。

    1864年、遣欧使節団がエジプトを訪れている。おそらく、日本人初の渡埃であろう 侍達は初めてみる、その大ピラミッドに度肝を抜かれたようだ。 その一行の中に寺島宗則、福地桜地、そして福沢諭吉がいたそうである。曰く、

「ただ今にいたり壮麗目を驚かすべきは『マホメッド』礼拝堂、『ピラミッド』 および『ヨーセフ』の墓なり」



exchange slip exchange slip


   エジプト旅行では帰国後に日本国内での£→¥の再両替は 極めて難しいそうで、エジプト国内で通貨£は使い切るほうがいいそうだ。 できる限り、使いたい分だけをチョビチョビ両替するのが利口な方法だそうです。


無事に、爺に運賃を支払いデルタホテル前で解散。
『じゃあの、また呼んでくれよ。フォッフォッフォ』


N西岸ピラミッド巡りD

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