生きてる事が功名か


beginning of Muizz St beginning of Muizz St beginning of Muizz St Policeman


    カイロ三大門の最後の1つを数えるズウェーラ門は、アズハル通りを越え、 ムイッズ通りを南に200mほど下らなくてはならない。 入り口付近は、北路に比べ道幅も広く判り易く、ハーン・ハリーリの土産屋 と隣接している為に、西洋人の観光客も多く見られる場所だ。
   界隈は白い制服を着た 警官がおり治安の強化にあたっているが、夜間は居なくなる事もあるので、 その際はひったくり等の注意が必要になる。デモが勃発した 謂れか自動小銃を担ぎ物々しく、また一見厳つい風情だが、道を尋ねたり する分には、とても親切に教えてくれる有難い存在だった。門へ向かう 進行中も沢山の人々の往来があり、生き生きとした生活の局面を見ることができる。


処刑門ズウェーラ

   1092年の創建で、在りしのカイロにおいて囲まれた城壁都市の 南の入り口門、という位置付けであったようで、2本の立派なミナレットが聳え建つ堂々とした 佇まいだ。その昔は、斬首された罪人の首が並べられていたこともあったそうである。現在 は周囲にヌーク(市場)が多く軒を構えており、 たばこや雑貨、生活用品などを扱う、主に現地人の為の市として活気をみせている。



Baab Zuweela Baab Zuweela Baab Zuweela Baab Zuweela Baab Zuweela



   通りのすぐ脇にガーマ・ムアイヤド・イッシェイフ がある。監獄や処刑場として使われた暗い歴史をもつ。 入場口の大扉をくぐって左に折れ、 そのまま進むと突然、視野が開けた。



Gaami 'Mu'ayyad ish-Sheikh big gate! Welcome


ガーマ・ムアイヤド・イッシェイフ  Gaami 'Mu'ayyad ish-Sheikh



   外観の雑鬧からは察することの出来ない ような、静けさと荘厳さがあった。 鳩がバサバサと立てる羽音さえ真っ先に鼓膜を打擲するがの、 清閑の地であって、そこには凛とした空気が張り詰めてた。



Gaami 'Mu'ayyad ish-Sheikh Gaami 'Mu'ayyad ish-Sheikh Gaami 'Mu'ayyad ish-Sheikh a feather


ガーマ・ムアイヤド・イッシェイフ2  Gaami 'Mu'ayyad ish-Sheikh



No timeでfinishです

   出場後、南に400メートルほど行くと ムハンマド・アリ通りに当たり、左にそのまま折れると、 ガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーとが在る。 この2つは、兎に角、巨大だ。

   西手を見上げれば世界最大級のイスラム建築の ガーマ・スルタン・ハサン、ここは外壁面の装飾が見事だ。加えて、 ミナレットは90mにもなる。
   東手はガーマ・リファーイーといい、主に シャー(王)や権威者達の公墓として使われている所だ。創建は 新しく20世紀に入ってからであるが、以前の跡地はザーウェと 呼ばれ聖者の墓として、その歴史を経過している場所である。 イランの皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーが亡命先のカイロで死去したのち、 埋葬された所でも有名である。

   どちらも見応えがあり、いざ、とばかりに入場口を 探すのだが、周囲は高い柵が連なるばかりで 一行にエリア内に入れそうな気配がない。



Closed Gaami'is-Sultaan Hasan  Gaami'ir-Rifaa'i Gaami'is-Sultaan Hasan  Gaami'ir-Rifaa'i Gaami'is-Sultaan Hasan  Gaami'ir-Rifaa'i


『何しとん?もう終わってるぜ!』


   またも、何かしらの声が私を呼ぶ。声の方向に視線を向けると 50歳前後のズングリムックリ体系の丸縁の眼鏡を掛けた 男が煙草を吹かしながら近付いてきた。 見るからに胡散臭い親爺だ。

   時計をのぞくと、5時半を過ぎ辺りは西日が射し始めていた。
建物を囲む鋼鉄製の柵が、どこまでも延びて入り口の境を不明瞭としていたのは、 単に閉館時間になってゲートが閉まった、という事実だけだったのである。 こんな魅力的な観光地を 目の前に、時間に間に合わなかった、そんな瑣末な事象だけで入館を果たせなかったのだ。 どうにかなるさ、と 齷齪はしない無頼を気取り御気楽を決め込んだ、その結果がこれだ。

<入場不成立・・・No timeでfinishです>

   もっとも本日は午前中ギザの観光で大きな時間を割いた、 という面もあるだろうが 、しかし根本的なスケジュールの立案 も最初から破綻していたのだろう。せめて、ムイッズ通り南方面と北方面の行程順を 逆にしていればもし、 こちらの入場は間に合っていたのだろう。 そんな悔恨の情が湧くが如くに、このガーマは(私にとっては) そそられる景観で北方向の史跡より価値があるように見え、内心臍を噛む想いだった。



Gaami'is-Sultaan Hasan Gaami'is-Sultaan Hasan Gaami'ir-Rifaa'i Gaami'ir-Rifaa'i



『5時に閉館だ。残念だったな、にーちゃん』
「あーそーすか」
『俺はな、多少なら英語も喋れる人間なんだぜ』
「あーそーすか」


   うっさい親爺だな・・・無視を決め込もうと審決していたのだが、 意外にも、彼の英語が思いの他に意志の疎通に貢献していたのも事実ではあった 。と、いうのは、ここら付近まで来ると、現地人はアラブ語しか喋らないのが殆どになる。 英語を話せるのは宿泊施設や公的機関は別として、中心地より少し奥まった土地ならば 観光用土産物の商人くらいで、下町のような、そして保守的なイスラーム 地区においては、ほぼアラブ語以外は通じなくなる。 実際、ペット水1本買うにも苦労する有様だ。 標識等もアラブ語に統一され、この地に辿り着くにも ガイド本の見開きPの地図と睨めっこしながら、そして、現地人とのジェスチャーを 交えながらの苦心の末の次第だったのだ。
   ひょんなことから、話の通じる相手に出会えた。そんな 開放性もあって意に反して互いに話しこむ流れになってきたのだ、



Gaami'is-Sultaan Hasan  Gaami'ir-Rifaa'i Gaami'is-Sultaan Hasan Gaami'is-Sultaan Hasan Gaami'ir-Rifaa'i


『ユーは Japaneseか?』
「そうだが、」
『ヤマモトヤマ』
「はい、はい、わかった、わかった」
『...blue mosque...』
「なに!?」


   男の口から、間違いなくblue mosqueという単語が出てきた。
実の所、当場に到達する行程の最中に、是非ブルーモスクに立ち寄りたかった のだが、大通りから少し入り組んだ小道を横切らなければならず、 道草喰いを試みてみたものの、三叉路、五叉路、などが連続し方位喪失すること 限り無く、往々に右往左往する始末であったのだ。

   このブルーモスクとは、ここカイロに在って本家 トルコのイスタンブールから取り寄せた青いタイルが使用された、という珍しいタイプのモスクであり、 現地語ではガーマ・アズラクという。アラブ人に「ぶるぅ〜もすくぅ」などと言っても 通じない。そんな、アラブ人では知り得ないblue mosqueという英単語が 節に出たことは、彼が外国観光客の感性で希求するような観光地の 局地的地理に相応に明るい人間であり、 また、それが外国旅行者にとっても信用に値する人間で ある、その裏打ちなのだ。と、合点したのだ。

   はなしの流れから察するに、ブルーモスクはまだ入場可能な時間だから 俺が案内してやる。ミナレットにも登れるよう交渉もしてやる、その代わり登塔は 別途の料金が必要になるぞ。そんな風だろうと、その時は理解していた。 お互いが第二言語代用のコミュニケーションなので、ここら辺が限界だろうと 諦めもあった。若干の心配もあったが、この入り組んだ細い路地で迷子になるよりは、 と男の後に付いて行くことに決めたのだ。

   行き着いた先、そこには一応ミナレットも有り、外壁の総長から察しても 比較的大きな建物である事は判った。私を引導してきた男は 入り口の職員と何やら交渉し始めている。その結果、15£で登塔 させてやる、という運びに相成った。


   『では、あっしはこれで・・・・』
そそくさと消えて行く男を一顧し、早速塔に登ってみたのだ。



Let's go the rooftop Minaret 屋上景観 ステンドグラス



   どうも、しっくりこない。周囲を見渡せるパノラマの景観である には違いないのだが、何と云うか、あまり荘厳感がない。何よりもブルーモスクたる所以の 青い壁面や、タイル張りが見受けられないのだ。



courtyard 階段 courtyard



   地図を見開く。大体の位置は合っているようだ。ぐるりと見渡すと、 民家の屋根伝いに見覚えのある玉葱型のイーワーンがやや遠くに見えた。ガイド本のブルーモスク 項目に記載された割り書き欄の写真と瓜二つだ。

   そう、ここはブルーモスク其の物ではなかったのだ。

「あのヤロウ、俺をこんなマイナー寺院に連れてきやがって〜」




blue mosque blue mosque


カイロ イスラム地区の景観 Islamic Cairo



   そういえば、あのオッサン、 ミナレットからの景色が、如何とか、ブルーモスクのワンダフルサイトシーン だの、単語を並べて力説していたなぁ・・・。
   今もって筋立てて整理してみると、ブルーモスクの外観は素晴らしい、 そんな素晴らしき情景を望める寺院に連れていってやるぞ。ミナレットに登れば ワンダフルなパノラマ景色が 楽しめる。だが別途の入場料金が必要だ。 モスクに知り合いが居るから、ここは俺にまかしときな。 お前のために、安く交渉してやるぞ。

   まあ、こんな処なんだろう。 完全な事実確認をせずに、見切り発車した私も悪いだろうが、 親爺自体の素性も怪しいもんだ。 手馴れた交渉ぶりから、どうも 寺院の職員、または深い関係者だったのではないか、そんな風に邪推したくなる 手際の良さがあった。 まあ、いいか今更。とにかく、目標地まではかなり接近できたのだ。 ここから、突っ切ってブルーモスクを目指すとするか・・・



まあ、ゆっくりしていけや

blue mosque blue mosque blue mosque


   根本的に私は方向音痴である。 先の寺院を退場したのち、真直ぐにブルーモスクを目指したつもりが、 また細い道が入り組んで、うろうろ迷い始めてしまった。
   大きなイーワーンがあるのだから、 それを目指せばいいだろう。と簡単に考えがちなのだが、 薄茶色したモノトーンで 作られた街路は、標識等の分別も儘ならなず、そこには碁盤の目の如くの道路の整然さも無く、 およそ<迷路>の様な街並みなのだ。 周囲は寺院やマザドラ、モスクなどが密集し、かの昔はカイロを<1000本のミナレット> と形容した時代もあったそうだ。

   この道でいいのか?ここを曲がればいいのか?
そんな紆余曲折の後、どうにかモスクの前らしき場所には辿り着けたようだが 確証はない。 入り口の老人に尋ねる。


「あのぅ、ここはブルーモスクですか?」
『.........(まあ、ゆっくりしていけや)』
「ブルーモスクでいいのか?」
『.........(まあ、ゆっくりしていけや)』
「あ、もういいです」
『.........(まあ、ゆっくりしていけや)』


   ニコニコしながらも、返答する語感はアラブ語のみであって、 果たしてこちらの質問ですら、うまく伝達できていたのかも、どうかは怪しい。 私自身も彼が何を言っているのか、全く理解していなかった。手招きする仕草 で、快く中に招き入れてくれたのだから、多分そんな風な意味なんだろう。
   カリカリしても仕様が無い。よっこいしょ、とばかりに腰を下ろし 休憩した。みんな、寝転がったり、輪に成って談笑したり、何だか呑気だなぁ。



blue mosque blue mosque blue mosque



虎が猫になる瞬間を目撃せよ

   すっかり日も暮れた。 アタバ駅から全く同じルートでギザ駅に戻り、白のマイクロタクシーに 捕まえようと、アフラーム通りを歩いていたところ、ゴミ溜めに猫を発見した。 まあ、エジプトには野良猫が非常に多い。



猫 猫 猫


   う〜ん、カルカンでも有ればよいのだが。あっ、そうだ 始末に困っていたパン菓子を与えてみようか。 常備食として、手さげ鞄に潜ませていたものの 遅々としてその本数は減らず、今は同封したボトルや案内本の圧力に負け、 包装紙ごと拉げてしまい、中身の原型が粉砕状態になっている感を予見している。 こんなモン、猫でも食べるのだろうか? 袋を開け更紙の上に置くと、凄い勢いで駆け寄って来る。猫まっしぐら。



猫 猫 猫


   た〜んとおたべ。このパンケーキは初日に 1ダースセットで買ったものだったのだが、ここに来て一気に3本近く消費 する事に成功できた。

「ありがとうドラネコ君!」


   思うに、 2日間にして、やや強行軍ともいえる行程で カイロに措ける2大ハイライト、すなわち「3大ピラミッド」と「考古学博物館」 の観光をあっさり消化してしまった。今宵はもう、身支度をして早々に 帰国の途に着いてもいいかなぁ、などと疲れも合間って妙な精神構造が そんな満足感を誘引するのだった。

   いかん、いかん!私の旅の目的は様々なピラミッドを 刮目し、その叡智と古代の息吹に触れることではないか!何のためにカイロの 連泊なのか。再び初心の、その意に蹶起せねば! 取り敢えず、明日はサッカーラ地方に参り階段ピラミッドを観光しよう。 ギザからも、相応の距離があるので1dayチャーターのタクシーを雇うことに なるだろう。ああ、 今度こそ優秀なタクシードライバーが必要になるな。

   そうそう、ホテルのボーイがドライバーを いつでも紹介してやる、と豪語していたな。早速、その旨で良いドライバーを 斡旋してもらうとするか。そんな思慮をおぼえつつ、 我がデルタピラミッドホテルへの帰路を急ぐのであった。



ギザ駅前



K西岸ピラミッド巡りA

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