生きてる事が功名か

Muizz St 香辛料



スルタン・バルスバイのマサドラ

   ムイッズ通りといっても、入り口は狭く、観光客や現地の歩行者で 溢れかえっているので、少しわかり辛い場所だ。 そんな時は、アズハル通りに架かる陸橋から ミナレットが見えるので、それ を指標に辿れば、到達は比較的易いだろう。バルスバイのマサドラはハーン・ハリーリの中に 在っても、香辛料の出店が周りを囲む一廓になっており、これはバルスバイが、 香辛料の商業路を管理下に置いたための名残りとされている。



Madrasit is-Sultaan Ashraf Barsbay Madrasit is-Sultaan Ashraf Barsbay Madrasit is-Sultaan Ashraf Barsbay


   イスラム教は偶像の崇拝を禁止している。教えは徹底されており 、マサドラやモスクでは幾何学模様や唐獅子模様のアラベスクが描かれるのみである。 ムスリムにとっては、アラーが唯一神であり 1日5の礼拝が厳格に義務付けられている。 根本的にアラーとはアラブ語のアル(the)イラー(GOD)という意味で、固有名詞ではなく、 いわば‘神’という凡人では捉えきれない存在、ゆえに神像や絵画が残されて居ない、 ということでもある。そのアラーの啓示を受け、教えを説いたのが預言者ムハンマド という事になる。



Madrasit is-Sultaan Ashraf Barsbay Salat


    イスラム教は610年にメッカでムハンマドが天使ガブリエルからアラーの啓示を受け、 悟りを得たことに興る。しかし、当時の メッカは特権階級が多神教を定めていたため、この地を追われることになり、 北に位置するメディナで本格的な布教を始める。622年のことで、イスラム暦の 紀元と定められることになる。

   彼がエルサレムで逝去した後、後継人が選出されたのだが、4代目の カリフ・アリ(ムハンマドの甥にあたる人物)が暗殺されると宗派が分裂するに至った。


シーア派(イランなど、教徒率10%)
・その威権は正統な家系、アリを継承するものであるべきと主張

スンニ派(サウジアラビア、エジプトなど、教徒率90%)
・ムハンマドが説いたスンナ(しきたり)こそが、その基礎であるべき


   各派閥ごと更に分派しているが、根本的な理念は不動であり、 その教えを学ぶ学府がマサドラ、礼拝場がモスク、というふうに捉えていいだろう。 このマサドラは、聖典コーランの解釈を学ぶ、云わば神学校のような位置付けで り、当然ムスリムでなければ入学は許されない。



Madrasit is-Sultaan Ashraf Barsbay


   金曜礼拝時は外国観光客は入場できないのだが、この時、使用される説教壇がミンバル、 その脇の窪みはミフラーブ、と呼ばれ何時もメッカの方角を指し示している。

   スルタン・バルスバイのマサドラを更に北100mほど進むと、 石舗道がやや開ける。スルタン・カラーウーン、スルタン・バルクークのマサドラが 並立した地区である。現地の子供達がサッカーに興じていた。下町といった風情か。



Madrasit is-Sultaan Qalaawuun Madrasit is-Sultaan Qalaawuun


スルタン・バルクークのマサドラ Madrasit is-Sultaan Qalaawuun




喜捨という考え

・信仰    シャハーダ
・礼拝    サラート
・喜捨    ザカート
・巡礼    ハッジ
・断食    サウム

   イスラム教おける5行の教義である。 このうち、喜捨という考えとしてこれは、富める者が貧しき者に 施しをしなさい、と説いている為に、当イスラーム地区の 付近を歩けばそれを要求される事が多々ある。 ムハンマドの推奨する理念の範疇、つまりは 自発的喜捨とは徳を積むこと、なので、彼等にとってはその行動は、 慈善の引導であるという結論付けとして、 何の悪気もなく 、おねだりポーズを構える。

『バクシーシ』

   観光客にはその義務は無いので、無視して構わない。と、されているが (個人的に経験上)なかなかそのようにはいかなかった、というのが本音だ。 必要以上に多額の金を施す必要はない。1£相当で十分であろう。
   これに対し、モスクやマサドラ入場の際は入り口で靴を脱ぐのだが、 門前の職員が下駄箱に脱靴を促す機会もある。 出場で金を要求されるが、これには素直に支払うべきだ。



Mosque of Alaqmar 登塔は学割で半額です into Minaret



   これは、靴を預かった、というサービスの行為に対して 支払われるべき対価であり、解釈としてはチップにあたる。また、これらの 建物はカイロの長い歴史の中、老朽や焼失などにより、その修復が望まれるべきである が、地区全体が世界遺産に登録されている にも関わらず、資金不足で理想的に進んでない一面もみせる。 少ないながらの寄進という形の運営であるので、ここは色を付けてあげたいところだ。

   入場すると、場合によってはミナレットに登らせてくれることがある。 この入塔料金もまた修復や維持管理としての資金になるという事なのだろう。 ほぼ、どのモスクにも在る建造物で頂上の 眺望はとても良好であり、また、それぞれ形状、高度、本数など種々の違いがあり、 各塔各方向で違った景色を楽しめるのも面白い。



Madrasit is-Sultaan Qalaawuun Madrasit is-Sultaan Qalaawuun Madrasit is-Sultaan Qalaawuun Madrasit is-Sultaan Qalaawuun




サビール・クッターブ・アブドゥール・ラフマーン・ケトフダー




Sabiil Kuttaab'Abd ir-Rahmaan Ketkhuda






三大門

   ムイッズ通りの北上の終点はガーマ・ハリーファ・イル・ハーキム と呼ばれ、囲う城壁の東西にはそれぞれ、ナスル門、フトゥーフ門の2つの門( 各々の意味は、勝利門、征服門)を擁し、 1013年に完成した。2つの門を繋ぐ城壁の上端は 延長150mほどの距離で連なる高台の構造になっており、 登頂についても開放感のある階段によって簡単に出来る ようになっている。城壁と呼ぶに相応しい立派な造りだ。



フトゥーフ門 フトゥーフ門 フトゥーフ門 城壁



   フトゥーフ門もナスル門も、車の乗り入れが可能で地元人の 交通路の一端を担っている。ナスル門に入り、そのまま貫きアフラーム通り方向に下ろうと思って いたのだが、現地の学生らしき若者が大声で呼びかけてくる。


『hey!』
「アアン!?」
『先を進んでも下水工事で行き止まりだ、引き返しな』



ナスル門 ナスル門 ナスル門登頂


ナスル門 Baab in-Nasr




   そんな訳なかろう。目の前を、たった今、普通車が入場していったのだ。 こんな大道路が、安逸に通行止めにするものか。 たとえ工事を行っていたとしても、工事箇所の傍らにチョッとした側道が設けられており、 歩行者だけでも往来は可能なはずだ。と、勝手に決め込みそのまま無視して直進してやった。
   しかし、先に行くに従い急激に道幅は狭まり、 果たして、彼が忠告していた工事は本当に施行されていたのだ。 突貫工事なのか、大胆なほど地面を深く掘り返して、行く手を遮ること限りが無い。 見たところ、およそ歩行者用通路だけでも暫時併設の手前が醸成されている感はない。 しかし、ここで引き返したら負けかなと思ってる。

   盛り上げられた柔らかい土塁に足をかける。その指先に伝わる踏地感 は余りにも脆弱で儚い。 ああ、やはり彼の忠告を受け入れ、それに素直に倣うべきであったか。 今更に、 己の無知さに怨嗟の、人外ぶりに寂寞の嘆を漏らす。だが、 私の旅は始まったばかり。感傷に浸っている余裕はないのだ。 2,3歩進み出し、盛られた土砂の上端まで来たかな、と、だがしかし周囲を確認した刹那、 バランスを崩し思わず尻餅。して、私の身体は更にクルクル回転しながら、 後方に転がり始める!


「やめてとめてやめてとめてぇ・・・とめった!!」


   ふぅ、どうやら命だけは助かったようだ。掘り返された 土質が柔らかかった、ことの反作用もあったのかもしれない。ズボンが破け、 膝が割れ出血した程度の軽症で済んだようだ。 おのれ!ここに至りは、 この艱難にて険しきを更に越山してやろう、 と云う底無しの闘志は残念ながら1mmも湧いてこなかった。

   砂と埃を手払いし、そそくさと踵を返すと 門の辺りで先程の若者が、(ほら見てみろ、他人の 言うことは聞くもんだぜ!)と、やや非難にも似た眼差しを向けている。申し訳ないのと、 恥ずかしいので逃げるようにその場を去ってやったのだ。



この先工事中 ナスル門登頂 Islamic Cairo 城壁




ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキム

   ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムは1000年もの歴史を持つが、 十字軍の捕虜投獄やナポレオンの要塞として使用されてきた、という時代の変遷を 辿るので建物は疲弊し、荒廃していた。現在の建物は20世紀に入ってからの再築で あるという。内部は非常に綺麗でカーテンの大幕が風に揺られ、 白い石柱と青空とが絵画のようなカットを実現していた。



Gaami'il-Khaliifa il-Haakim Gaami'il-Khaliifa il-Haakim Gaami'il-Khaliifa il-Haakim


ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキム Gaami'il-Khaliifa il-Haakim




   中央の濃赤色の小塔は沐浴の為の水道口で、清める順も決まっている。 すなわち、[手→口→顔→腕→足]の順番で洗っていくのだそうである。 暮れの風が吹いてカーテンはバサバサと音を立てて揺れていた。



Gaami'il-Khaliifa il-Haakim Gaami'il-Khaliifa il-Haakim Gaami'il-Khaliifa il-Haakim


ガーマ・ハリーファ・イル・ハーキム2 Gaami'il-Khaliifa il-Haakim




   ムイッズ通りを再び全くルートで 遡上すると、スルタン・カラーウーン、スルタン・バルクークの マサドラが並立した地区で対面の壁に 見事な装飾がある事を再発見できた。



壁 壁



   日もだいぶ傾きかけてきた。 アズハル通りを早く渡って、南半分から先 を急がねば。



壁 壁



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