生きてる事が功名か


地底突入前篇

   明十三陵も万里の長城も、どちらも世界遺産であるが 北京より北西方向に50km、2大遺跡の往復周遊として約150kmあまり、 もの行程が必要になる。個人タクシーのチャーターや、旅行会社の オプションとして催行してもらうものいいが、中国人の旅行者のあいだでは、 天安門の西に位置する「北京旅遊集散中心」という運行会社が興行する、 廉価で便利な高速バスの1デイパックツアーで行く方法が人気のようである。


    天安門広場のターミナルを 、朝からうろついてみると、簡素なルーフ型のバス停に沢山の人の 行列ができていた。 チケットセンターには、「十三」及び「長城」と同期記載して おり、2つの周遊バスツアーだとわかった。早速に券を購入。 どうやら、午前の部が明十三陵、お昼を挟んで、午後の部が万里の長城で という日程であるらしい。ほぼ、中国人向けのツアーらしく、 行列の最後尾に並ぶも、日本人は私1人のようだ。


「それにしても、大した人気だ」


    老若男女とはよく言ったもので、若いカップル組から、 年寄り夫婦の定年御気楽旅行のような落ち着いた感じの方々、 田舎から出てきたと思しき仲良しグループ、また、出張中の中休みで観光しているのか スーツ姿のサラリーマン風の男などもおり、そして其々が赤の他人なのに 気軽に話し込んで、とにかく凄い活気だ。

    中国式高速バスといっても、 その構造は日本のものとはほぼ変わりは無い。冷暖房完備であり、背もたれの傾斜も 可能な立派な物 で長時間の座位が苦になる要素はない。座席数から50〜60人の搭乗は可能 なのだろう。それでも、乗車すればアッという間に席は埋まっていく。



高速バス entrance


    車内の 構成は左右に2席づつが隣在し、中央に通行路がある普通の車体様式だ。 後部から数えて4シート目くらいの、窓側 席に独りドカンを腰を落すも、 間も無く内通路におばちゃん登場。何やら、私の肩をポンポンッと叩き 話し掛けてくる。 しかし、何を言っているのか全くわからないのだ。


「リーベン(日本人だっちゅーの)!」
『アアン、れべん(何だ日本人かい)』


   言葉の壁により、思案の叶いようが無いと理解すると、彼女は途端に 静かになった。フッと見れば、 通路を挟んで、対面シートに息子らしき姿が有るのが確認出来た 。年は15〜6歳か。 身躯は比較的大柄だが、リュックを背負った、そしてニキビの噴出し始めた、その 顔面肌質は まだまだに幼さを残すに十分な見識だ。母親の背の後に隠れ、事の成り行きを見守り 、一言も言葉を発することもない。チラチラと伏し目がちな視線を私に投げかける態度からは、 自主性を垣間見る一片はみられない。

    流石にここに至りは、やっと鈍感な私でも理解できた。 そそくさと座席を立ち、シートを空けて通路に降り立つ。 2列分の隣り合ったシートを親子に譲ってあげた。


『謝謝!』


   母親が謝辞を述べるや否や、 少年は早速に1席を飛び越え窓側シートに座り、 嬉しそうに窓の外を眺めている。世話好きの母親が 息子の為に万里の長城を見せてやろうと、バスツアーを組んであげた。 そんな感じなのだろう。背負う黄色いリュック は衣類でも入っているのか、まるまると太って合成 繊維特有の横紋波を形成している。 よっくらしょ、とばかりに頭上の棚に放り込むさまから詮索するには、 北京よりさらに郊外から上京してきた中的期間の日程を要する旅行者組なのだろうと予見できた。


   さて、その行程は、高速道路を使用するといえども、2時間近く 車内移動を余儀なくされるものだ。引率するバスガイドは、丸眼鏡をかけた50歳くらいの おばちゃんだった。運行中は、ガイドが暇にならないように様々な余興を するのだが、上品ぶった日本式の喋り方など微塵もない豪快ぶりだった。 彼女の、その 細身の体躯からは想像できないくらいの規格外の大声で喋りまくるのだ。 胸に付けたピンマイクなどは無用の長物。

    内容は勿論、中国語なので 全く理解できないのだが、素振りやジェスチャーで、明十三陵と万里の長城の 観光の見どころ、そこから派生する歴史変遷や時代風刺と人物評、 車行路区画の地域の旬な話題、なんかを説明しているように思えた。 緩急つけた音調と、 区切り区切りで話題振りの大喜利が始り、その度に車内は 大爆笑の渦が起こる。


『ゲラゲラゲラ、おもしれー』
『アッはっはっは〜、こいつぁ傑作だ!』


    2〜3分おきに彼女のお笑いセンスに賛美の嵐と、万雷の拍手が巻き起こり、 私だけ取り残されたような気後れを感じる。さっきまで引っ込み思案を 体現していた様な、そして若干ある種のヒッキーシンパを共感していた少年でさえ、 今はもう吃驚するような変貌ぶりで、彼女を指差し 腹を抱えて笑っている。


『ブヒャヒャヒャヒャ、お前サイコー!』


    よっぽど面白い話なのだろう。 笑っていないのは私くらいなもんで、 この時くらい、中国語を勉強しておけばよかった、と痛感する瞬間は無かった。



定陵 定陵 定陵


地底突入中篇

   さて、バスは世界遺産「明十三陵」に到着した。地理は 北京市の昌平区とあり市外中心より50kmほど北西の位置 にある。 天寿山の麓にもうけられた歴代の皇帝達の陵墓であり、 明時代の3代皇帝、永楽帝から崇禎帝に至る、13人の皇帝と23人の皇后と1人の妃が 眠っている。


    定陵は、明の14代皇帝、万暦帝の陵墓で1590年の完成である。見学コースは 定陵の地上部分の殿堂を見学した後に、地下に広がる大墳墓宮殿に突入していく。



定陵地下 定陵地下 定陵地下


    深さ27m、面積1195mで綺麗なアーチが型作る大空間で、発掘は 1957年より始まった。突当りの后殿に万暦帝と2人の妃が安置されている。 それぞれに柵越しからの見学になるが、 みんな惜しげもなくお金を投げ込んでいた。



万暦帝玉座 万暦帝玉座 定陵地下


   巨大な石造空間を抜けると、新たに人だかりができている。 明楼の石碑だ。「成祖文皇帝之陵」と書かれている。



定陵地下 定陵 明楼の石碑


    道なりに進むと、駐車場に出る。脇には博物館があり、様々な埋葬品が展示されている。



明楼 定陵 十三陵博物館


   豪華絢爛の一言。出土品のほかに、定陵の構図などが分かり易く 解説されている平面画もあり、また「神道」の写真も掲示してあり十三陵博物館の名に恥じぬ 立派な建物だ。


神道:十三陵の手前にある、800mにわたる石道。左右に中国本国には珍しい象や駱駝の 石像が列座する。入り口の「石牌坊」は国内最大の石成門。



十三陵博物館 十三陵博物館 十三陵博物館 十三陵博物館 十三陵博物館 十三陵博物館 十三陵博物館 神道


地底突入後篇

   見学終了後、バスに乗り込み次なる目的地へと出発となった。 しかし何故か10分くらいで停車した。万里の長城までは 40〜50kmの距離はあるだろうが、 みな訝しい素振りなど微塵も見せず、ゾロゾロと降車していく。よくわからんが、この波に 乗っかっていれば間違いないだろう。と、列の最後尾に金魚のフンの様に付いて行くと、 トントンと私の肩を叩く女性がいる。 振り向けば、 あのマシンガントークのバスガイドだった。


    紙と書く物をよこしな、そんなジェスチャーで私に要求してきた。幸運にも携帯していた A6ポケットノートがあり、ボールペンと一緒にそれを渡すと、そこに「13:00」 と記載 してくれた。更にニコリと笑い、左手で椀を掬う、右手で箸を持つジェスチャーと、その手を口元 で手首からクルクル回して見せる。


『昼飯を、かっ込んできなはれ』


   どうやら、一連の私のオドオド振りがツアーシステムを熟知していない 外国人だと、彼女を認識 させたようで、見るに見かね 筆談で成り行きを私に教えてくたようだった。とても優しいガイドだ。


『よ〜ござんすか!?休憩は13:00まで』
「しぇ・・・謝謝」


   この興行会社のツアータイプには多種類あり、 明十三陵だけの観光、万里の長城だけ、2つの周遊、更に昼食付きのモノと様々だ。 私の企画ツアーは昼食付きだったので、十三陵区画に併設させた 、おそらく直営か傘下の立派なホールで、昼食を取れる内容のものだった。
    内部に入ると円卓上にズラリと美味しそうな 皿が並べられてあった。好みの惣菜が有れば回転卓をクルクル回し、手元近くまで寄せて 摘む、これぞ中華食卓、という食卓台だ。 椅子に座ると、隣の老夫婦が私に視線を向け、微笑しながら、気遣い礼儀なのか私の 椀に白米を盛って渡してくれた。


「しぇ・・・謝謝」


   突然だが、中国の箸は大きいのだ。
日本で普段使用して いたモノより1.5倍ほど長く、また相対的に太さも相まって、 挟むも摘むも四苦八苦だ。食い意地の張った私は、魚の餡かけに箸を入れ 魚体の腹部辺りを解し、その身を自分の皿まで把持しようとするのだが、この箸が 思いのほか扱いに難儀する代物で、 中々に現地人の如く上手に自在できないのだ。はしたなくポロリと 白身の欠片がテーブルクロスに落ちると、卓を囲う一同が、どこか慈愛を含めた 笑みを私に投げ掛ける。何だかみんな、 長閑だな、泰平だな。中国人との距離が縮まった時間だった。


   施設内は、食事ホールのほかにコンビニや 土産屋もある。外に出れば、みんな デザートやアイスを食べたり、煙草を吸ったり、記念写真を撮ったり、思い思いの 好きな時間を過ごしていた。現地民と一緒に階段に腰を下ろし、 ぼんやりと遠くの景色を眺めた。 定刻の13:00になったようだ 、再びバスに乗り込む。さあ、次はいよいよ世界遺産 「万里の長城」だ!



苑鹿御 苑鹿御


D万里の長城
トップ