皇帝都市景山公園は明の時代、永楽帝が北京に遷都した際に風水の知識を 応用して、この地に造り始めた。 盛る土塁は北海公園のものが始まりだったが、後に故宮の周囲を囲む 壕を造るときの削土が代用される事となった。高さは44m(標高は88m) もあり、実際に体験すると、汗が出てくるほどの登頂になる。付近は民謡の調べと共に舞いを披露する グループが沢山あり、華やかな雰囲気だ。 |
景山公園の頂上 付近の景観は、その名の通りに圧巻だ。南方向にグルリと見回すパノラマビュー と、さらに西側に白い兵隊帽のような奇妙な形の塔をも望むことができる 。「北海公園」である。 これもまた皇帝の御苑として始まったもので、北京における計算された付近の 総合区画は、まさに皇帝都市という名に恥じないものだ。 |
西の階段を下ると、周恩来が来訪し記念に植えた木が残されている。 この場所を、このまま西方向に貫けば北海公園に至る。この付近の観光コースは 紫禁城、景山公園、北海公園とセットになっており、 徒歩での履行も十分可能なようで一連の人の流れが 形成されていた。 |
「不思議な形だな」 誰もが思うだろう。シンボルとされる白塔はバイダーと呼ばれ、 チベット仏教を模している建造物なのだという。島に浮かぶ塔の高さは36mある。 |
北海公園の歴史は古く、遼、金、元、明、清の5つの王朝 の実に1000年に渡る。敷地の半分以上を人工湖が占めており、水面に 映える夕日と、霧の掛かった情景が凄く綺麗だったのを憶えている。 |
瓊華島は北海(御苑を構成するのは南海、中海、そして北海) に浮かぶ周囲800mの島で、元時代は万寿島、清時代は白塔山、と呼ばれていた。 島を結ぶ橋は永安橋と呼ばれている。 |
1651年、仏教信のあつかった順治帝が創建したもので、 内堂には千手観音を祀る善因殿がある。柳の木が生い茂る長い階段を 登らなければならない。標高45mとあり、なるほど 頂上からの景観は素晴らしいものだ。 パノラマビューの視点でいえば、 今度は逆に景山公園を望めては、よじ登った苦労の甲斐があったと云うもので、 東方面の紫禁城はもとより、南方面では中海、南海に至るまでの 広がりを、皇帝になった気分で眺望することができる。 |
金の時代、6代皇帝の章宗は宋の都から奇岩怪石を運ばせ 庭園を造らせたので、島自体が独特の景観になっている。 |
西側の対湖面にへばり付くように楼閣が囲む。閲古楼と 呼ばれ、1742年に乾隆帝が創建したものだ。弧を描く造型から望む情景は いかにも中華といえるものだった。船着き場があり、入場料別途 30元で対岸まで運んでくれる。 |
チケットセンターで 乗車券を買うと、少し離れた船着き場で 船頭の親爺が独りで座っており、私が近付くと乗船するのを察したようで、何やら中国語で 捲くし立てるような口調で話し掛けてきた。 しかし、何を言っているのか全くわからないのだ。 「リーベン(日本人だっちゅーの)!」 『アアン、れべん!?はやく乗りなちゃいな』 そう言って、いやそんな感じの事を言って、笑いながら手招きをしてくれ、 私のカメラで記念写真を代行撮影してくれた。 『出発しまっせ〜!』 |
時間にして15分程度、揺られる船内からは西対岸に 五龍亭がみえる。皇帝や皇后が月見や釣りを楽しんだ場所だ。 神獣上陸し湖の縁伝いに歩いていくと、「九龍壁」がある。1736年に造られたもので 故宮にある九龍壁よりも大きさで勝っている。長径は26m、高径6mもあり 、壁面は424 枚の瑠璃瓦から成る壮大なものだ。 国内には3つの「九龍壁」があり、山東省大東街のものが最古にて最大の ものであるという。 九の字は「久」と発音が同じであり中国では縁起がよい数字とされ、また、 古来より皇帝の天数であるとされている。 さらには、 龍は皇帝の象徴でもあることから、この碑は寿と権威の骨頂といえる代物であると言えるだ ろう。 |
退園後、さらに北に進路を取ると鼓楼、鐘楼が並ぶエリアに 入る。鼓楼大街駅まで続く通りは旧鼓楼大街と呼ばれ、定食屋が軒を連ねている 。基本的に 中国の物価は安い。食事も北京ダックやアワビの甘煮など、高級食材でなければ 驚くほどに安上がりで済む。この通りも、そんな感じの定食屋が多く、 庶民の台所として活気に 溢れていた。この日はジャージャー麺を食べた。 |