生きてる事が功名か


皇帝直下


   午門をくぐると、広大な広場が待っている。皇帝にとっては 庭である、その場所には5つの橋が掛かっている。金水橋を呼ばれ、宮殿に水を 引き蛇行する水路は、故宮全体を龍が如くに駆け廻り、金水河とさえ呼称される立派な ものだ。


金水橋 金水橋

   広大な故宮の敷地を、大きく2つに分けるなら<外朝> と<内廷>に構成 されるといっていい。外朝は三大殿のエリア、すなわち(太和殿、中和殿、保和殿) が在り、 即位式や公式な式典が行われた表の顔だ。対して内廷 とは皇帝や皇后の生活の場所であり、利権や愛憎の渦巻く権謀術数の舞台でもあった。



<外朝>

太和殿:1420年、明の時代の創建であるが現在のものは1695年、清 の時代での再建である。高径33m、長経64m、奥行き38mで中国最大 の木造建築だ。明・清両王朝の歴代皇帝の即位式や結婚式、など重要な 行事はこの場所で行われ、位置的にも故宮の中心部にあたる。この大楼閣の 中に皇帝専用の玉座がある。


太和門 太和殿 太和殿


紫禁城  太和殿 北京 Palace Museum



   門前は、どの三大殿にもない人の群れが形成されていた。 ひとめ、その玉座を見ようと人々のまなこが、カメラのレンズが、一斉に一方向を向いていた。 大変な賑わいだ。


重装鉄球

    「軒轅宝鏡」というらしい。玉座の真上に設置されたその金属球は、玉座に 皇帝以外が座った瞬間に落下して、その不埒者の頭蓋を木っ端に粉砕するという 言い伝えがあった。この為、辛亥革命の後に「皇帝」を自称した袁世凱は、わざと 位置をずらし名残は今日まで至るのだという。

    映画「The Last Emperor」においてはエンディングスクロールに観光客を連れた ガイドが、玉座の目の前まで観光客を引率しているシーンがあるが、 実際は残念ながら堂内の入場は 許されず、見学は綱で引かれた門前のエリアの遠視からでしか叶わなかった。 黄昏の紫禁城をジョンローン宜しくに、 手綱を飛び越え、階段を駆け上がり玉座に座ってみたい、そんな衝動に 思わず駆られた。


太和殿 玉座 玉座


紫禁城  太和殿2 北京 Palace Museum



中和殿:太和殿で行われる大典の準備をする場所として建てられた。創建は同じく1490 年で、四方の幅経がそれぞれ24mの正方形の形をとっている。 太和殿のすぐ後に位置をとっており、皇帝の休憩の為だけに つくられたとある。何とも贅沢な話だ。


中和殿 中和殿 中和殿 中和殿

保和殿:中和殿の後に位置し、長径50m、奥行き25m。皇帝が礼服を着替える ために造られた建物。除夜や元宵の際の宴会場としても使われた。1789年以降 には科挙の最難関試験会場、殿試の場所になっていた。


保和殿 保和殿 保和殿 雲龍階石


   外朝の装飾は、とにかく壮麗だ。大理石を全国からかき集めた 徒労と建造の巨大さ、そして数々の 陳列物の美麗さを見ていると、皇帝たる権威の誇示、という言葉に 劣らない実際を体現してると感じることが出来る。


鬼龍子 Palace Museum Palace Museum Palace Museum


<内廷>


    まず、お出迎えが乾清門の前に構える2匹の青銅獅子像だ。表装は金メッキ加工で ある。左右で其々に雌、雄であり、雄がたなごころ抱える球体は地球儀の象徴であり、 皇帝が唯一に時を司っている、という暗喩であるという。


乾清門 青銅獅子像


乾清宮: 内廷を代表する建物で、南より 外朝エリアと内廷エリアを結ぶ直回廊が延びる。楼閣内部にある玉座も太和殿並に有名で 沢山の人だかりが形成されていた。掲げる題字は順治帝の直筆だそうである。


乾清宮 玉座


   巨大な宮だけが魅力ではない。ここは、それぞれの歴史の登場人物の 生活、調度品、書の記し、などが各展示されている総合博物館でも ある。少数民族であった満州族が、大多数の漢民族を実質支配した清という 時代、その興りと隆盛、列強国の蹂躙と亡国への変遷とロマンは、 好きな人にとっては堪らない魅力だろう。 中国史に詳しい方なら、故宮観光だけでも1日費やしても 飽きないだろう、という物量だ。当然、本国でも一番人気の観光地であり、 来宮者は1日5万人だそうである。下記左掲載写真の「龍」は西太后の直筆。


DRAGON DRAGON みこし


交泰殿: 皇后の寝室としたことが始めの建物で中和殿に準じるような正方の形をしている。


交泰殿 交泰殿


天井には軒轅宝鏡が確認できる。


軒轅宝鏡 箪笥


    故宮の観光は南の午門から入って北の神武門に向かって見学するのが一般的なルートのようである。 この付近の東には垂簾聴政で有名な養心殿、西は女中の暮らす西六宮などがある。 下記左写真は光緒帝の幽閉場所であったという。


光緒帝の幽閉場所 Palace Museum


   そのまま、北に向かうと 御花園といわれる、皇帝や皇族達が木々を植えた庭園が広がる。 見どことは何といっても、天一門にある「堆秀山」だ。人工の石山で、 歴代の皇帝や皇后達が重陽の節句の頃に登り、景観を眺めては酒を 酌み交わすのが仕来りだった。ここも大人気で、観光客で溢れていた。


灯篭 狛犬 堆秀山


   庭園内にある2本の枝垂れ柳は、夫婦円満の寿とされ ている木だ。御花園自体は130m×90mとあり、巨大な広さは無いが情緒深い景観であり、 いかにも庭園という風情の佇まいだ。一時、溥儀の家庭教師ジョンストンの邸宅として 宛がわれた経緯もある。


堆秀山 天一門 天一門


   北に行けば、神武門に至る。

神武門:1420年の創建で、初期は玄武門と呼称されていたが、清 の時代に再建され、こう呼ばれるようになった。 巨大要塞の北門にあたる意味合いもあり、門を見回し囲う人工壕の景観は、 壕というより河川に等しい巨大さだ。これを渡り、道路を挟んで北に 見えるのが「景山公園」になる。皇帝が故宮を一望するが為だけに 造られた、人工の山だ。


Palace Museum 壕 壕 神武門 神武門 神武門


B景山公園

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