異邦人来たる「思ったより近いね」 正直な気分だった。日本から飛行機でたった3時間の距離だ。成田18:15 でJAL869出発の、北京国際空港21:15に到着後。デッキを降りると スーツケース片手に颯爽と往来する 人達の多くも、その人種や顔貌はまだまだアジア特有であり、総括された 空港の風景は 日本のモノとそう大差ははない。空港の巨大なトラベーターを 継いで玄関口に至ると、現地の日本語対応ガイドが待っていた。 『こんにちは〜、ようこそ北京へ!』 見かけは日本人とほとんど変わらないその男は、また、流暢な日本語で私を出迎え 、ここは未だ日本なのではないのか、と錯覚してしまうほどだ。だが、 空港からホテルまで引率してもらう、車窓から覗く景観が徐々に 私の呆け具合、と温度差を是正していく。 中国とは、とにかくデカい、そして広いのだ、と。 |
1972年の国交正常化になるまで、中国とは近くて遠いお隣さん、というのが日本人 の大概な見解だっただろう。パンダや万里の長城、三国志に至るまで、その 大国への慕情と歴史の変遷における日本への影響は誰もが認める所だが、いざ後年、 その海外旅行となると、社会情勢や政治形態の違いと、そして民族 気質の相違からも敬遠する事がありえたのかもしれない。 それを先ず早くも、私個人に、 体現化させたのは現地の横断歩道を前にした時からだった。 ホテルは建国門という、北京でもかなりの中心部にあった。車道を挟む対岸の歩道は 先10mくらいで、目の前を車や原付、自転車などが過ぎていく。北京も中国を代表する 大都市だ。その中心部の交通量は半端なものでは無い。 さあ、渡ろうとするのだが、日本人の感性から、 車の切れるのを、また、歩行者優先の認識を持つドライバーが現れ、その車体を 減速してくれるチャンスを待っていたのだが、・・・30秒、1分、2分経っても その瞬間は一行にやって来ない。業を煮やして強行横断するや、右折しかけていた原付が 私と衝突の寸での所で急ブレーキをかける。 『あぶねーじゃねぇか、死にたいのかー!』 それは、こっちの台詞だ! 果たして、はっきり言えば中国の交通マナーは極端に悪い。轢かれたお前が悪いくらいの 勢いだ。日本で暮らす、当たり前のような安全マナーと 良識に守られた交通事情は、そこには存在し無い。 たかが横断歩道の横断が命がけなのだ。 そして、現地民は所かまわず大声で喋りまくり、恥じらいも無く 痰をペッペッと地面に吐く。 「いいかげんにしろ、永源!」 私のマイクパフォーマンスに、耳を貸す者など1人もおらず、かえってその愚を嘲笑うように 咥え煙草の、おまけにポイ捨てまでしてのけるのだ。更にはゴミもポイ捨て。 こんな事を日本でやったら白い目で見られそうだ。 ああ正直、とんでもない国にやって来たのかもしれない、と若干の憂いと、 そこには確実に温度差あるのだと、再認させられたものだった。徹底した個人主義。自由気まま、我が道を往く、と聞こえはいいが、 悪く言えば 自分勝手、他人の事なんか気にしない、そんな民族性が露呈していた。 谷間の影さらに、高層ビルの乱立する付近の歩道にグルリと目を向けてみる。 するとコンクリの谷間の影から、 真っ昼間から上半身を肌けた太鼓腹の巨漢が、日光浴なのか簡易リクライニングシートに 身を横たえ、団扇をあおぎ、『プウップウッ、あついあつい〜』とばかりに涼を呼応 させている姿が、私の目に飛び込んできた。この親爺どこかで見た。そう、幼い日に見た8bitのアーキテクチャで構築された 仮想空間、その粗雑な ドット柄でブラウン管の中を舞っていた、TVゲーム、イーアルカンフーそのものだ! 仮にも現代中国の首都、人口1500万人の大都市、 その北京には似合わないコテコテ中華ないでたちで ・・・・・あれには本当にびっくりした。 |
宿泊先は「京都苑賓館(JING DU YUAN HOTEL)」だった。 綺麗なホテルであり、市内観光の交通性の利便も上々 かと、ただ付近はホテル乱立地区で、 各敷地が中国らしく非常に広大であり、小店舗コンビニなんかが少し遠かったのが難点だった ように思う。コンセントは基本的に中国では3又(規格としては(I)に あたるそうである、)220Vが主流だが、当ホテルや 対外国人ホテルにおいては(A)タイププラグの普及も進んでいるようだ。 |
両替は空港、銀行、ホテルと非常に多いので、 まず困ることはない。いわゆる 人民元だが、流通は100元、50元、20元、 10元、5元、1元と紙幣が主流で、持ち運びに嵩張らない為か 現地民は輪ゴムに 札ごと包めてワイルドな携帯の仕方をしていた。 硬貨には、分、角、 という単位があるようだが、滅多にお目にかかれない。 北京の各観光に、地下鉄は非常に便利だ。一律2元で、可能な 限りの距離を運んでくれる。チケットセンターのガラス板越しに、サッと一元紙幣を 2枚投げ込めば、樹脂製のカードがサッと出てくる。並ぶのが面倒なら自販機でも 購入可能だ。 目的地をタッチパネルで指圧するのだが、どの駅を押しても出てくるチケットは 変わらないようだ。 入場の仕方も、日本とそう大差は無い。 荷物チェックを受け、購入チケットをバーコードに掲げるだけである。合格なら観音扉式ゲート が開閉し、晴れて入場可能となる。 退出時は、 自動改札機の側面にある扁平型の回収口に、切符ごと挿入すれば終了だ。 ただ、路線だけは日本ほどでないにしろ 、線が絡み合い交叉連絡を呈し 結構複雑化しているので、ガイド本や路線図は常携したほうがいいだろう。 |
赤色地下鉄「天安門東駅」を降り立つ先に、巨大な赤色の壁が 聳え立っていた。その城壁の高さは13m、上部に鎮座する楼閣は21mもある。歴代の 皇帝達が即位の度に詔書を発布する、由緒正しき、中華思想の原点たる場所だ。 これに倣い1949年、毛沢東が建国宣言を行い中華人民共和国の樹立を 果たした。この赤色の大門 のアーチをくぐり、さらに進むと故宮博物館の南の正門、「午門」に至るのだ。 |
ゲートを越えると、石敷きの広い歩道が続く。西に中山公園、 東は労働人民文化宮が広がっている。午門までは、もう1つ「端門」があり、 この場所の付近では、天安門上の楼閣に 入場できる券が購入可能である。さらに北に進むこと距離にして300mあまり、 遂にコの字型をした巨大門が見えてくる。高径38m、複合形として世界最大 の建築門、紫禁城南正門の「午門」である。 「午門」の正面には3つの穴が見える。その昔、 3穴のうち正門が皇帝専用門、左は官僚、右は皇族、の其々であったという。 この巨大正門を含み、 紫禁城周囲は高い城壁に囲まれていた方形構造になっている。周囲は人為的に 壕を掘り、そこへ水を満たす多大な人労によって成されており、 単なる皇帝の住居、それ以上に強固な造りとして ‘要塞’という意味合いでも立派に用途を 果たすものだったと判る。 故宮博物館の入場券販売所はこの門前にあり、やはり、 さすがは世界遺産ゆえに 外来観光客はもとよりに、 国内きっての大人気観光地でも有り得る訳で、付近は中国人を中心とした人の波で溢れ返っていた。 巨大な城門の扉を開けば、かつてそこに在った清という大国の中心に 飛び込むことができる。もう、伝説の玉座は目の前なのだ。 |
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