3日目、朝から気持ち良く晴れていた。結局、滞在中の2泊3日は一滴の雨も降らず 、初歩的な支障、つまり雲が張ってオーロラが隠れるような事は全く無かった。日中の気温も20℃を指しており、 極北地方といえど4月でこれほど暖かいのは、この地方でも珍しい日々だったろう。 零下40℃という極寒を体現する地方へ渡航したからには、こんなにも晴れて暖かい日が続くと私事、 かえって少し物足りなさを感じるくらいだった。 心理今日までの時点で、日本国内に居た頃、一般常識から的の外れた4月という季節で オーロラ鑑賞を選んだ事に間違いは無かった。それは確信にも似た感情になった。実際は 季節柄を関らず、オーロラ本体が見えるか見えないかは、オーロラ自体の光度が強いか弱いかだけの話だった。 2日目の激しいオーロラを目の前で目撃すると、どうしてもオーロラ最終段階の「ブレイクアップ」を 体験したくなる。 ホワイトホース到着後、初日は満足にオーロラを見れなかった。2日目は「オーロラらしい」緑色の 畝る(うねる)個体を肉眼で見ることが出来た。段階的に考えれば、本日3日目にステップアップして オーロラ・ブレイクアップに出会えるハズ。 そんな、都合のいいことを脳内で想定してしまう。欲求が妄想を生み、理想が 最上級の旅物語を創作してしまう。 手前勝手な 人間の心理だ。 一応、 オーロラの光度や活動の強弱については、年度単位の 周期というものが存在する。一般にオーロラは、太陽風の程度によって 活動の規模が決まる。その源になる太陽活動の指標に「11年周期」という概念があり、 これによれば、太陽表面に見られる 黒点数の変動を測ってグラフ化してみると、山と谷を交互に繰り返す 振動曲線を11年ごと描くことがわかっている 。徐々に活動が増していく山部分の頂点が極大期にということになるのだが、 この極大期の年から概ね2〜3年を経た年に 活発化したオーロラが地球で観察される。 具体的には、最近の極大期は2013〜2014年になる。その前は 2000〜2001年であり、この極大期の後年にあたる2003〜2004年にオーロラ活動が強くなった 。記録される極大期の数的値も一律ではない。弱い時代と強い時代が存在する。ちなみに、先代2000年付近は 観測史上でも極めて大きな値であったようで、この時、オーロラ観測エリアが大規模に低緯度まで展張したため、日本(北海道)でもオーロラが観測されたという 事実がある。この時代に比べると、残念ながら近年2013〜2014年の規模は小さいものになる。 |
夜が更けたので屋外に立ってみた。見上げると北斗七星が良く見えた。 満天の星空が広がり、雲一つ無い天気だった。何かを予感させた。 オーロラの出現は間違いないだろう。 あとは爆発に至るくらいの壮大な規模の現象を、この目で見ることが出来れば吉である。現在、時間は23:00を回ったところ。 ロッジのチェックアウトが午前4:00なので、実質、鑑賞時間は5時間程度だろう。 その中で、オーロラの来襲はあと3〜4波くらいか。 「たのむ、奇跡を見せてくれ!神よ、オレにオーロラ爆発を見せてくれ!」 せっかくカナダまで渡航した都合、 出国前のギリギリ時間まで、爆発の瞬間を粘るつもりでいた。 さあ、最後に微笑むのは神か?悪魔か? ハデスまず、天に向かって数枚パシャパシャ撮ってみる。細れ雲の並びに反し、垂直方向に 延びる一筋の雲様体を撮ると、案の定、写っていたのは光度の低いオーロラだった。 |
光度の低いオーロラは白色〜淡緑色に見えるので雲と混同しやすい。 そのため、旅行ガイドブックや鑑賞指南本には、時間を掛けて暗闇に目をじっくり慣らせてから 観察 するのがオーロラ鑑賞の 王道だと書かれている。しかし、私事の意見だが、そうとも言い切れない部分もあるだろうと思った。 というのは、カメラバッテリーを充電交換する為に(ロッジ⇔屋外)を出たり入ったり繰り返していたが、 長時間屋外でオーロラを待っていた環境よりも、 明るい部屋から暗い屋外に出た瞬間、そちらの方がオーロラを確認し易かったからだ。 同一の景色を長時間見つめる事によって、 視覚の同視や錯覚のようなものが生理的起こるだろうと思った。 文献で云われているのとは逆に、 ロッジから出た瞬間に限って 簡単に薄緑色のオーロラを確認出来て、「ああ、あれはやっぱりオーロラだったんだ・・・」 なんて再認する機会が何回もあった。 |
太陽風が大きく影響すると、オーロラが活発化するのと同時に各地に 様々な弊害をもたらす。大きな局面として11年周期と説明したが、やはり日ごと夜ごとに 太陽風の大きさは強弱する。極端に大きいときは、「磁気嵐」と呼ばれる状態に成って地球を襲う。 その昔、黒点周期が弱い時期にも関わらず トロントやニューヨークで 予期せぬ大停電が 発生した事があるが、 これは後に、一時的に太陽風が極端に強くなった磁気嵐が原因であったことが判っている。この時も、大規模な オーロラが発生した。カナダからアメリカの国境付近まで南下して、普段 オーロラが見えない地域でもオーロラが確認された。 3日目の24:00をまわり、観察時間は残り少なくなってきた。 未だ、ブレイクアップは現れず。焦燥感だけが心を占めていく。相変わらず 見えるのは、薄っすらと光る細長い筋状の個体ばかりだ。 比較的、それっぽく立派に写せたのはカメラの性能のお陰と云っていい。 |
近年かなり撮影機材の性能も進化し、かつ 低価格で購入できる時代になった。カメラの光に対する感度が上がり、 素人でも気軽に天体撮影できるようになった。 私の持参したデジタル一眼も低価格モデル であったが、シャッタースピードは30秒、ISO値は12800までの上限で撮れる機種であった 実際の光度が低くても、ギラギラ光る ブレイクアップ級の光度でも、カメラの性能が向上したことで 撮影方法いかんにより同等レベルのオーロラ写真で仕上がってしまう時代になった。 一般的な 写真で、オーロラの光度や規模を推測する方法がある。オーロラと同時に映り込んでいる、星の数や 種類、その等級に注目すればいい。 つまり、星の数が多ければ多いほど光度は低く、 逆に星が少ない場合は周囲の弱い光の星を喰って同視させるほどに強い光のオーロラであるといえる。 このページの写真は、どの画像もあらゆる等級あらゆる星が映り込んでいるのでオーロラ光度は相当に低い事がお判り頂けるだろう。 上の2枚写真くらいの例だと、正直肉眼では観察できない。左画像の白い後光は月明かりであり、 オーロラ光はそれより更に暗い、という判定ができる証拠写真でもある。残念ながら3日目はこんなのばっかりだった。 |
さて、時計をみると時間は午前3:00をまわってきた。残すところはあと1時間。 迎える波も、せいぜい1〜2波程度だろう。これが最後のチャンスと言っていい。 半ば諦め気分もあった。しかし、 ロッジ宿泊者が書き残した体験記に、カナダ出国前ギリギリの時間3:00前後でオーロラの出会えた、との歓喜の 記載もあった。 予想以上に予想外の動きをするのがオーロラであるので、 もう少し粘ってみたい・・・。願わくばオーロラ爆発を見てみたい! |
奇跡は起こるか? |
「time up・・・」 |
そう、ドラマの様な調子いい筋立てには成らないものだ。結果からいえば、 ブレイクアップどころか光度の度合いとしても初日程度のものしか現れなかった。 期待が大きかったぶん、落胆も大きい。気まぐれなオーロラという 現象は、人間の人知を超えた遥か天空で行われていることを改めて思い知らされた。 |
雪の降る町急いで帰り支度をする。荷物をまとめて宿屋の チェックアウトの後、管理人が車でホワイトホース空港に送ってくれた。 道中、車窓をのぞくと粉雪がチラついているのに気付いた。夜半前は晴れていたとはいえ、急激に天候が変化するとは ・・・天候の具合だけは人間の思い通りにならないな、とチョッとした納得感が心に湧いた。 |
空港到着。1階ロビーはガラガラ状態だったが、手荷物検査を受け2階の待合室に入って少し経つと、続々と 人が入ってきた。 (ホワイトホース⇔バンクーバー)国内線であるが、早朝7:00発の便にしては吃驚するような 混み具合だ。 |
当日は、現地の暦で4月17日の日曜日だった。周りを見渡すに異国からの 旅行者という風情の人間は私一人で、殆どはラフな格好の地元民と思しき人達ばかりだ。 多分、ホワイトホースは田舎過ぎて 主だる娯楽がないので、日曜日の朝一番の飛行機で飛んでバンクーバーに遊びに行く目的の人々なのだろう。 空港の待合室はこじんまりとしていたが、なかなか親切にコーヒーやキャンディなどが フリーで提供されて人情的な温かみを感じる。小菓子を口に含みんで 椅子に寛いでいると、出発を促すアナウンスが流れた。齷齪と 機内に乗り込む。ギュイーーーン 。 「take off・・・」 車輪が格納され、轟音と共にboeing-737がホワイトホース を離陸していく。 諦め切れず機窓を覗いてみた。目下に はユーコン川の流れに沿った町と都市の大動脈である太い幹線道路だけが 確認できた。「White horse」 小さな町だったが、オーロラを見た場所として私の思い出に残るだろう。 今生の別れか・・・否、また来たい。 ああ、また来たいな雪の降る町ホワイトホース。 |
ゴー・・・、安定した高度飛行を続ける飛行機の 座席に、改めて深く 腰を落とした。そして眦を閉じる。 網膜が描く暗澹のビジョンに去来す る情景に、一瞬の光が舞った。 明光の幻想夜が鮮やかに甦った。 |