清流と名高い長良川、 ここで行われる「鵜飼い」は実に1300年もの歴史をもち、 信長や家康など権力者達の保護もあり、古来よりその伝統漁法は 脈々とこの地で継がれ続けてきました。 |
見学は5月11日〜10月15日の期間で 、鵜匠が漁をする数隻の鵜舟を 屋形船の上から見学する、という形式です。客船である 屋形船の発着場は、岐阜城のある金華山の真下の長良橋からなので、 大抵は岐阜城と一緒に組んで観光する機会が多くなるようです。 |
マスコットキャラは「うーたん」です。だからといって野球ボールをオデコでキャッチしたり しません。たった1文字違っただけで大違いなのです。 出航は夕刻です。具体的には、 Aコース:18時15分 Bコース:18時45分または19時15分 どんな違いがあるのでしょう?と、興行会社に問い合わせたところ、 鵜舟が現れる時刻自体は各船共通の19時45分なのですが、それまでの間、船上で お弁当や夕食などの時間を楽しみたい方は(A)コースを、他所で夕食を済ませて 鵜飼いだけの見学が目的ならば(B)コースを、選んでくださいとの事でした。 細かい時間帯や、料金形式など詳しい事は予約時に電話等で聞いてみてください。 (鵜飼い)(予約)で検索すればHITすると思います。 夕刻まで時間が余るなら、鵜飼の里を観光しておくといいでしょう。 長良川右岸から一歩入ったところに所在していて、鵜匠と鵜の生活や、 歴史と知識をより深め、学べることの出来る場所になっています。 また、 長良川の岸辺は綺麗に整備されており散策コースとしても人気が高いようです。 |
実際、夕刻に船着場に行ってみると、多くの船 で既に大宴会がも催されており大変な賑いです。社員旅行の団体が貸切タイプの屋形船 で鵜飼い見物、といったところでしょうか。もちろん、個人乗船の客も多く、禁煙船も あり、観光客の中は外国人も大勢いました。 |
基本的には船尾より船首の方が良く見えるようです。 左右差は、日ごと船タイプごと、に微妙に変わるらしいので、 出発前に乗船の担当船頭さんに「本日はどちらが見えやすいでしょうか ?」とソッと聞いてみてください。 見学の流れは、以下の通りです。 出発。長良川を遡上し、川辺に屋形船を並べる ↓ 花火の合図で鵜舟が登場し漁の開始 ↓ 遠望にて見学 ↓ 鵜舟が下流に下り始めると屋形船も併走。近距離で見学可能 ↓ 運がいいと、鵜匠が捕った魚を見せてくれる ↓ 下船で終了 本格的に動きだし〜終了までは正味1時間程度といったところでしょうか。 まれに悪天候の場合は、併走できない場合もあるとのことです。 |
並べられた屋形船は荒縄で両隣を括り付けられます。その間も 船頭さんが様々な鵜飼いについての説明をしてくれます。 ・鵜舟は鵜匠、なか乗り、とも乗り、の3人組み。独特の帽子は風折烏帽子(かざおり えぼし)と呼ばれ、1300年の長き歴史の中で一度も落雷の経験の無かった、という 縁起の良いもの。 ・鵜はシベリアからの渡り鳥を捕獲し、2〜3年かけて調教します。 鵜匠は自宅で常時数十羽の鵜と暮らしており、先輩鵜の行動を真似させ、徐々に 新人に漁の技を覚えさせていくそうです。 漁に行く当日の2〜3時間前に、多くの鵜群の中から鵜匠が体調のよさそうな鵜を 連れて行きます。 ・当然、漁前は空腹状態にさせておきます。あんまり活きの良すぎる鵜はガッ付き過ぎて、 漁の最中に首縄を飛び越え魚を飲み込む事もあるようなので、見極めが中々に難しいそうです。 一方、ほんの小魚程度であれば、そのまま最中に飲み込ませてあげ、 そこには鵜匠と鵜の間に 共存共栄の信頼関係があるのだといいます。通常、鵜の寿命は5年くらいですが、 長良川鵜飼いの個体は20年近く生きぬき、最長寿は30年という鵜も過去にいた そうです。十数年以上経つと漁に出れなくなる個体も出てきますが、最後まで 手厚く保護し愛情をかけてあげるのだといいます。 |
いよいよ登場です。暗いのと動きが速いとで、上手く写真撮影 できませんでした。個人的にはムービーカメラ型の記憶装置での撮影をお勧めします。 職名は「宮内庁式部職鵜匠」・時の権力者、信長や家康に保護され川の様々な権限を与えられてきた 鵜匠は、最盛期に21人いたそうですが明治維新後は保護の対象も無くなり、 辞める人が続出したそうです。そこで明治23年からは宮内庁に属すことになり 、漁は重要無形民族文化財に指定されることに至り、現在その数は 岐阜市に6人、関市に3人ということだそうです。 ・由緒正しき、この「宮内庁式部職鵜匠」との職は完全世襲性であり、鵜匠は 鵜と同じ屋根の下、それこそ寝食を共にする生活を続けてるといいます。捕獲魚は天皇への 献上や明治神宮、伊勢神社にも奉納されます。 出航前は、 「オレがペリカン手懐けて、大量生産してやんよ!」 「問屋制家内工業・・・?工場制機械工業・・・?だっけか? まあ、とにかく革命よ、業界に革命起してやんよ!」 と、大いなる野望を胸に独り 息巻いていたのですが、根本的に 私は生まれ落ちた瞬間から鵜師になる事は 叶わなかったようです。果てし無い夢は机上の空論に終わり、 無意味な夢の中で更に足掻き続ければ人生航路を大きく迂回する機転を招くだろうと、結果、 諦めるほか有りませんでした。 |
鵜舟が下流に下り始めると、屋形船も併走し漁を 真近で見学することが可能になります。正式には「狩り下り」 と呼ばれ、タイムスケジュール的にも最大の見せ場になります。 ・見所は、元気一杯に動く鵜達を繋ぐ数本 の手綱を絡ませずに、同時に巧みに操る鵜匠の見事な手綱裁きです。 鵜の首に巻き付いた縄は、 捕獲魚を飲み込ませないくらいのキツさ、窒息させないくらいのユルさ、の間隙が必要であり、 鵜匠曰く「小指1本分が通る程度」だそうで、ここら辺の微妙な匙加減は長年の経験と勘、 そして鵜との信頼関係が必要になる部分なのでしょう。 ・最後に鵜舟を横付けし、捕獲魚を見せてくれました。9割がた鮎だそうで、 「鵜鮎」と呼ばれ高級品として扱われます。 昼は素走っこい鮎ですが、夜は半分寝た状態で篝火に照らさせた瞬間にビクッと反応し、 そこを鵜が反射的に飲み込む、というのが道理なのだそうです。 ・捕獲魚の実際はビックリするほど綺麗な状態 なでした。鮎は飲み込まれた瞬間にショック死のような感じになり、暴れる事なく 綺麗な魚体を保ったまま捕獲されてしまうという事らしいです。 |
最後は頑張った鵜達に、ご褒美の時間です。真近で見ると鵜も ユーモラスで、なかなか可愛い顔をしていました。 |