城下町として栄えた小田原は、現在でも城を中心に様々な産業や観光にと 賑わいをみせる神奈川地区の西の雄としての輝きを続けています。 小田原城は 駅東口から右方向に道成り300m程の位置にあります。 R246経由なら籠場というジャンクションで折れます。東名なら大井松田IC で降りましょう。 |
外堀沿いに進むと、真っ赤な橋が見えてきます。「学橋」です。 |
銅門(あかがねもん):天守閣に通じる登城ルート上に設けられた、 二の丸の表門。扉の飾り金具に銅を使用していたことから、この呼び名がついたといわれている。 |
常盤木門(ときわぎもん):本丸の正門で城内最大の大きさ。 |
天守閣:元禄16年の大地震でほとんど倒壊しましたが、 宝永3年(1706)に再建された歴史があります。現在の建物は1960年に 市制20周年の記念事業として鉄筋コンクリートで外観復元したものです。 |
城内は北条氏の様々な歴史資料や年鑑などがありました。 最上階は標高60mの高さになり、相模湾が一望できます。 |
二の丸隅櫓:櫓の内部には武器が格納されており、有事の際は ここから城下を展望し矢や鉄砲を放つようになっていました。現在の建物は1934年の再建 です。 |
駅から左方向に進むと、北条氏政・氏照の墓所があります。 商店街のモールを潜る直前の、ごく細い小路を折れると突当りにあります。 駐車場はないので、歩いて行ったほうがいいです。 |
1590年、前田・上杉連合軍が八王子城を包囲し、これを落とした のを機に 北条氏政・氏照は小田原の篭城を解き責任を取って自刃しました。 |
自刃の場所は、城下の田村阿安斎邸(南町)で、遺骸は北条氏の氏寺であった伝心庵に埋葬されました。北条氏滅亡後、大久保氏の時代になって伝心庵は寺町(中町)に移され、 その跡に永久寺を建立したので、この墓所は永久寺の所有となりました。 関東大震災で埋没しましたが、翌年、地元の有志によって復興されました。 今でも 献花や線香が絶えません。 |
小田原駅の東口が正門にあたり城へのリンクが簡単で、また、周囲の商店街も 栄えた地区になりますが 、反対側の線路を挟んだ北口には「北條早雲像」があります。 |
R1沿いには、小田原城の最外周の遺構が残っています。 江戸口見附跡と呼ばれ、小さなお堂が建っていました。日本橋から20里 (80km)の位置にあたるそうです。 |