遺跡を廻る手段は様々にある。安価に済ませるならレンタル自転車 もある。 西洋人の観光集団が数十人単位でツーリング走行している 風景によく出くわした。ロードタイプの高級車の貸出しもあるようだ。 安易な(乗れれば良いという)ママチャリタイプであれば、1dayで1〜2$といったところが 相場だ。 タイとの国境お金 と時間に余裕があれば、かなり遠くまで行ける。タイとの国境近くにプリア・ヴィヘアという 遺跡がある。山の頂上に築かれた遺跡で、ダンレック山脈から突き出した岩壁 からは遮るものも無く、眼下の カンボジア平原を360度で見渡せる。ガイド本でも折り紙付きの紹介で、 大パノラマの素晴らしさを味わえる観光地だという。このプリア・ヴィヘアは、 カンボジア紙幣(2000R)にも描かれている有名遺跡だが、タイとの 長年の関係悪化が示すように、周辺では小競り合いや緊張が続いている為、治安は 良くないとのことだ。しかも、唯一の交通網である国道 6号が市内から少し離れると途端に悪路に化けるので、4WDの大型車の チャーターが必要になる。詳細について、市内のチャーター業者に聞いてみた。 |
店内に入るとカウンター越しに、いかつい親爺が出迎えだ。半袖からは、屈強な太腕がのぞき 漢臭さが滲み出ている。 「プリア・ヴィヘアの観光は危険だって聞いたけど、どうなの?」 『今のところ、no dangrerだ』 「四駆をチャーターすると、いくらかかる?」 『1day or 2day?』 「どういう事?」 『250kmもあるんだぜ。 シュムリアップからは遠いんで、大抵は泊まりがけになる。 1dayの強行軍なら、早朝5時出発の、夜帰還という時間配分になるな』 「じゃあ、1dayで」 『500$だ』 「またにします・・・」 トゥクトゥク |
市内周辺の遺跡群を見る程度であれば トゥクトゥクをお勧めしたい。モーターサイクル駆動系は、(トゥクトゥク)(モト) に大別できる。ちなみに、前時代には自転車で引っ張る(シクロー)という人力車 のような乗物もあったが、現在では滅多に見ない。 トゥクトゥク(Tuk Tuk)は、屋根付きのキャリーをバイクで引っ張る、という形態の 乗り物で主に東南アジアで広く普及している。国によってはメーター制の料金体系を 採用している場合もあるが、シュムリアップ市ではドライバーとの交渉で金額を決める という方式である。通りをウロウロ歩いていれば、頼んでもいないのに向こうから勝手に声が掛かる。 トゥクトゥクの料金相場は20〜30$くらい、これで1日中付き合ってくれる。 原付2ケツのバイクタクシーであるモト は、その半値程度だ。 トゥクトゥクの優れた所は、その居住空間にある。座椅子が前後についており、 二人組で乗り込むも好し、 独りで乗れば悠々と足を伸ばして 王様のような気分にもなれる。史跡を見に行く時は、客席に荷物を置いてカメラ片手に サンダルを引っかけるだけ、というラフスタイルで飛び出せる。ドライバーは放置しておけば 昼寝しているので、勝手に待たせておいて、自分は気兼ねなく観光できるわけだ。 何よりも、突然の雨に対する備えがあり、スコール時には 幌を張り雨の浸入を極力防いでくれる。モトは、そうはいかない。さらに、 ドライバーとの相性もあり、2ケツ状態のバイクはドライバーの背中と密着している時間が長く、 季節場合によっては鼻がもげそうになる。 なので、両者を使い分けするのがいいだろう。チョッとした、市内の マーケット や、数ある遺跡間のごく短距離のみを移動するなら(モト) 1dayチャーターなら(トゥクトゥク)という感じ、かな。 |
トゥクトゥクにも、オフィシャルな運営タイプと流しタイプ、の二種類がある。 4桁の番号を打ってあるジャケットを着込んだドライバーが前者、私服の者が後者である。 どちらも事前に交渉するタイプであり料金的に差異は無いが、オフィシャルタイプの 方が礼儀正しく性情も気さくな人が多かったように憶えている。 とらバスさて、私のツアーに含まれるオプションに「とらバス」というものがあった。 一聞するには、周回バスに乗り込み遺跡間をフリーで乗降できるものかと想像していたのだが、 実際は全く違う。パーフェクトに日本語が喋れる現地民のガイドが、ワゴンに同乗し 周辺の遺跡を廻ってくれるというスタイルだ。 まあ、至って普通のガイド付き送迎車ということになる。「とらバス」とは、その呼称にすぎない。 1ワゴンにつき1ガイドが常駐し、1〜10人の見学者を引率していく。 朝方に、サリーナをはじめ日本人向けの各ホテルに迎えに来て観光客を乗せる。昼までに1史跡を 観光しホテルに送り返し、午後から別の1史跡を、というスケジュールである。日本における「はとバス」を意識したネーミングであるらしい。 興行会社の傘下に山本日本語学校という施設があり、ここで現地民に日本語を教えている。 授業料や寮費 は無料であり、 日本式の礼儀や挨拶も学ぶためか、卒業生のガイド達はみな非常に礼儀正く、そして優秀だ。 ホテルのロビーで待っていると、ガイドの到着だ。本日のガイドは パンニャーちゃん。うら若き乙女だ。 『こんにちわ、よろしくお願いします!』 ワゴンに乗り込むもののガランとした3列席だけが目立っていた。 周囲を見渡すが運転手以外、誰の姿も無い。本日の観光客は私1人だけのようだ。 「えへへへ、俺だけ?」 『そうですね、さあ出発しましょう』 |
市内からアンコールワットの入口までは5km程度の距離だ。ホテルから6号を流しながら 市内の説明が始まる。なかなか流暢な日本語であり、知識も豊富で関心だ。 途中の一画で比較的大きな敷地に建物、 そして、柵を挟んだ門前に現地民が行列を作っている光景を目にした。 彼女は質問する前に答えてくれた。 『病院ですね』 「ん、子供をおんぶしてるけど?」 『子供の死亡率が高いカンボジアでは、子供の医療費は無料なんです。 朝はああやって子供を連れた親子が行列を作ります。 ワタシも子供の頃は体が弱かったんデスよ』 |
街の発展などを話してくれた。話ぶりから察すれば、現在、雨季には水で溢れる悪路の 権化とも揶揄される道路も、今後は 下水道が高水準で整備され、伴うインフラ整備もドンドン進んでいくだろう。 観光客の増加に伴い、産業の発展と住民の生活水準も上がっていくに違いない。 空港が拡張される事も、近い将来あるかもしれない。 一方、最近問題になっているのは 水質の汚濁だという。水道水でさえ、現地民が飲んお腹を壊すことがあるという。 車の往来と土煙、そして排気ガスが街を満たす。その 歩道に、私でも持っていないタッチパネル式の携帯を覗き込んで歩く人の姿を見た。 寺院の坊主さえも携帯を片手に話をする姿を見る。町は活気に溢れ 、行き交う人々の顔は笑顔に満ちている。 むかし、 NHKのドキュメント番組で、ポルポト時代の首都プノンペン、人っ子独りとして人間の姿が無く ゴーストタウン化した映像を見たことがあった。 その時の衝撃が忘れられない私の感性からすると、間に抜けたように、ここシェムリアップ は明るい都市に見えた。暗い時代の傷は少しづつではあるが、時の経過と共に癒えてるのだと、 そして、新しい世代の台頭がおこりつつあるのだろうという現実を見た。 通り沿いの建築中の鉄筋骨組みを指し、ガイドは言うのだ。 『分譲型のマンションです。日本円にしてー、そう 300〜500万くらいで新築マンションが買えますよ、いかがですか?』 「またにします・・・」 |
我々を乗せたワゴンは、6号を折れ北上に進路をとっている。 舗装路であるが道路沿いの建物は極端に少なくなっている。 緑色の広葉樹が生い茂る林道を速度制限なく突っ走るワゴン車 だけが、軽快にエンジン音を響かせ続けた。 車窓の木々が猛スピードで左から右へと消えていく。信号が無いのだ。 そして、 電柱も無い。 市街地の急速発展に比して、今度は遺跡内では、 景観を損ねる為に電線を繋ぐような措置が取られていない。 結果として、この未踏の遺跡は景観がほぼ太古の姿で見ることができ、 千年近く前の世界をそのままに体験できている。 土のむき出しになった路肩には、野生の猿が群れを成してコチラを見ている。 その手付かず大遺跡は、もう目の前なのだ。憧れのアンコールワットに近付くにつれ、 私の 胸は高鳴り鼓動がエンジンの回転数と同調するのがわかった。 『その前に、アンコールチケットを購入しましょう!』 |
チケットセンターは主線を逸れた 側道を迂回する形態の道路になって、再び合流するという構成になっている。 観光にあたり、ほぼ全ての見学者がこの場所を最初に通過する事になるだろう。 (1日、3日、7日)と三種類あるが、 3日分、7日分のチケットを購入したならば、以降 の日は素通りして構わない。 センターでは、顔写真を撮られ番号が印記された個人のチケット(10×8cm程度の小紙) を渡される。万一に、チケットを買わずに入場した場合は、罰金が科せられ5倍相当の追徴金 で再買させられることになる。また、現地のガイドやドライバー分のチケット については、別途で購入する必要は無い。 |
売り場の前まで来て、おどろいた。 「はうあっ!日本人ばっかじゃん!!」 ガイドは、窓越しに説明してくれた。 『いえ、いえ。ほとんどは韓国や中国の方ですよ』 意外にも、 シェムリアップへの渡航者は韓国人が一番多い。 次いで日本、アメリカ、フランス、そして中国となる。街を歩けばハングル語の看板 や韓国人の観光客も多く認める。 現地民の習得したい海外言語の一番人気は朝鮮語なのだという。 韓国人向けのマンションやホテルも竹の子のように乱築されている。 「中韓の近年の激増はわかるけど、日本人はどうなの?」 『日本の方は、昔も今も一定であまり変わりませんね』 それでも、過去20年をかけて カンボジアに支援を続けてきた日本の立場は、かなり高い位置に 見られており、日本人と聞けば現地民の 感触も良好に変わることが多い。その象徴 としての話、2001年にインフラ整備として建設したプノンペンに架かる 700mの大橋には「キズナ橋」 と命名が刻まれている。 国連、多国間 267 EU諸国 197 中国 119 日本 143 韓国 36 アメリカ 60 NGO 129 2010年 カンボジアODA純支払額(100万$/単位) ワゴンを降り、彼女に引率されるがままに後を追う。 チケットセンターの 列に並び数分の待機の後、最前まで来ると 受付のカウンター越しにスピーカーがあった。ガラス板で仕切られた 室内から 職員の口が動くと同時に、そのスピーカーからも 声が響く。 『コッチを向いて』 パシャリ!視線の先にカメラがあり、顔写真を撮影されたのがわかる。待っていると、出来上がり ました。とばかりに、隣のブースで 半券状の紙を渡される。これで、プノン・クレーンとベンメリア以外をフリーで 出入できるチケットの完成である。再びワゴンに乗り込みアンコールワットを目指した。 「さあ、いざ参ります!」 チケットセンターを出てから1kmも進むと、 密林を抜けたその先に突如、アンコールワットの伽藍が見えてくる。聳え立つ 独特の5本の尖塔と、 周囲には水を満たした巨大な環濠が構えていた。とにかくデカい、そして美しい。 ここが古代のクメール人が体現した宇宙の真理、その中心地なのだ。 |