トレンサップ湖はカンボジアの中央にある巨大湖で、流れて貯まる雨によって伸縮する特徴をもつ。
雨季に膨れ上がる面積は乾季の3倍強
にもなる。従って、陸地の期待できない原住民が湖の上に住み、舟を交通手段とした
生活をしている。
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これらをクルーズ船で観光するのが人気で、この地方を訪れる外国人は遺跡とペアで 楽しむ者が多い。 本日に至っては、アンコールチケットが完全に期限切れだったので、 遺跡専用チケットを必要としない、この観光を選ぶ事にした。 船着場は市内より、南に5kmほど下る場所にある。トゥクトゥクを掴まえようと ホテルを出ると、何だか見た顔がある。側道に停車した車体の中で、整備と 掃除に勤しむ男の姿。昨日1day チャーターしたドライバーだった。 番号付きのジャケットを着ている組合由来の正規ドライバーであり、 大変礼儀正しく、気遣いもあり、大変満足出来る男である。 昨日の運転履行でも、それは十分証明済だった。 今日も彼を雇おう、と早速声を掛けてみる。 「トレンサップ湖に行きたいんだけど」 『Sorrry.reserved』 どうやら、無理らしい。彼等、ドライバーの間にも縄張りの 様なものが存在するらしい。 ホテル毎に運転手の顔ぶれが変わったり、ストリート毎の同じ顔ぶれだったり する。 1日チャーターの業務が終わる夕刻に、ドライバー達は、もれなく乗客に尋ねてくる。 『明日はどの遺跡に行く?朝、ホテルまで迎えに行こうか?』 もちろん、 価格交渉も旅の一つの楽しみであるので、毎回違ったドライバーを雇う事も 面白いが、 気に入った運転手がいるなら、 連日の予約を取っておくもの賢い方法だろう。 |
それでも空き時間なのか、先ほどの男は、 手を休め親身になって私に話を返してくれる。 脇に廻り込 んで、目線を同一にしながら、 手に翳したガイド本の地図を覗き込み、指をさして言った。 『なんだ知らないのか? この船着場は今、水没して中止らしい』 「マジでっ!?」 この船着場界隈には、プノン・クロムという丘がある。 ここを頂上まで登れば、西に沈むダイナミックなsunsetが堪能出来る。 トレンサップ湖クルージング の後に夕刻に丘を登り、ここにある史跡も一緒に見学しようと計画を立てていたばかり だった。 もしかして・・・と、プノン・クロムの場所を指し、この遺跡は現在見学可能なのか ?と訊ねる。男は頭の上に横向き手刀の形を作り、さらに線を引き水位のレベルを ジェスチャーで示した。 『完全水没だ。ここは頭上まで水位があり、入場さえ危険だ』 アンコール遺跡群といえば、巨石の積み上げ伽藍であり、 高経を誇る建造物が 湖の氾濫ごときで容易に水没するとは、イメージ通りには俄かには信じ難い。 「うそくせー、なーんかうそくせー」 『うそじゃねー。実話だーしんじろー』 「トレンサップ湖クルージング」は、 アンコール観光で旅行会社の 企画するオプションとしては最も催行の多い項目であるが、、 あまりにも雨量が多いと船着場が水没してしまい、 会社が自制で企画を中止することがあるとは聞いていた。 実際、 とらバスのオプション企画として 紹介された時も、この『半日クルージング』の項目だけは暫時的に削除されていた。 そんな経過を、ふいに思い出し納得してしまう。 成るほど、湖の満潮時の浸水とは予想以上に大きいものなのだな・・・行ってみたかったものだ。 『あきらめたら、そこで試合終了ですよ・・・?』 ニコリと笑い 地図を指しながら、あれこれと内情を教授してくれた。なんでも、 トレンサップのレジャーとは 何箇所からか小型の舟が出ており、それらが集まった先の 中央港のような場所から、モーターボートタイプの中型船舶に乗り替え、最終的に クルージング という形態の移行するモノなのらしい。 南の水没した船着場は、この出発地の1つにすぎなく、ここより東側に別の船着場があり、 そちらなら現在営業中だとのこと。早速、男と別れ新たなドライバーを雇い、 気持ちも新たに東をめざした。 |
とんでもない悪路だった。メジャーな船着場に繋がる道でない、このマイナー道路は 国道6号から折れると、最初は大きな道幅だったが、じきに 未舗装の細い農道に早変わりし、泥と小石の混じる 悪路の中でトゥクトゥクの車輪は捕られ、動きは極端に悪くなった。 道の両脇には水が溢れ、 牛や鶏の鳴き声が響いている。 子供達の元気な声が響き、大人達は野良仕事に出掛ける。 現地民の朝の生活が始まろうとしていた。 通過する農道から民家の風景が流れていく。遮蔽窓のないトゥクトゥク の客席に堆肥と畜産のにおいが通り過ぎる。 生のカンボジア国民の生活に触れた気がした。 |
みな、笑顔を絶やさない長閑な農村を 演じている様に思えるが、貧困の度合いは見るまでも無く大きいものだ。 国が定めた貧困指数というものがある。 1日1人あたりの食費の支出額として、3000Rがボーダー。 以下の指数が 都市部(プノンペン)で5%未満であるのに対し、地方部(シェムリアップ市 や農村地区)では 50%以上になるという。 1$=4100Rと換算すれば、単純に市民の半分近くが 1日の食費を1$以下で抑えてているという事実になる。 |
シェリムアップ 市内の中心部から40~50分の時間で、東寄りの船着場に到着した 。ここからは小型の舟に乗って中央港に向かう。 乗員限界5人程度のボートタイプの舟に乗り込む。 |
到着した先に木板が敷いてあり、クルーズ船が出る 中央港に繋がっている。段上に登ると、中型船舶が 複数停まっている。お世辞にもクルーザーとは言えない改造船だ。 |
『welcome!』 出迎えてくれたのは、年端もいかぬ少年だった。15~6歳くらいだろうか、 多少の英語も喋れることで、貧困の農村の中では特別に対外人観光客用の 運転手に抜擢された、そんな経緯だと思えた。 なかなかに、礼儀も正しい。 待つこと数分、他の観光客が来ないので 先発で出航。10人程度乗れる船舶であるが、 この少年船長と私の二人だけという構成で出発することになった。 巡航しながら、彼なりに村落の説明をしてくれた。 |
『警察だ。海上警備隊だな』 Gendarmerieとはフランス語からきているらしい。前時代のフランス統治下の 名残りなのだろう。本当に水上に建って立派に機能しているのだから、何だか驚きだ。 |
『マーケットだ』 瑞々しい果実が船上に並び、活気溢れる人々の声が響く。 |
高床式の藁葺き屋根の母屋が両脇に並ぶ水路が、 このクルージングのクライマックスであり、最大のメインストリートであるらしい。 外国人用の レストランやゲストハウスが並び、ビールや軽食もとれる商業地区になっている。 ここら辺の生活風景は、もうパフォーマンス的な面も大きいのかもしれない。 |
『いらっしゃい、ココナッツジュースはいかが?』 可愛い売り子が、ベランダ越しに問いかけてくる。 注文すると 船の上まで持ってきてくれた。どうせなら、 ウチでお昼を食べていかない?なんて、連られるままに入店。炒飯を食べた。 |
船に戻ると少年船長は、エンジンを点けモーターを最高回転させ船を 旋回させた。大海原を突っ切り 沖合いまで連れていく。見渡す限りの水平線を指さし、遠望しながら言うのだ。 『この方向に首都のプノンペンがある。ジェットボートなら6時間で行ける』 「ほう」 少し誇らしげな表情の少年に、今度は私が尋ねる。 「この船なら、何時間くらい?」 『フッ・・・2日、いや3日かな』 笑った表情が、ひどくあどけない。しばらくの間、遠い水平線 を二人で眺めた。ボーっとおかしいなことが頭に浮かんだ・・・ こいつは船舶免許は持っているのかな? 年齢以上に上手く操るもんだ。 「ライセンス、ハブ、ユー?」 するとニヤリと笑って、少年は両手を回転させるジェスチャーをした。 『Try it?』 「オッ・・・オウ、イエーイ」 |
乗客が私一人であることが幸いして、船を運転する機転となった。 こんなことは生まれて初めてだ。だが、 焦ることは無い。気合で運転席に座る。ハンドルは安心のトヨタ製だ。 『ギアチェンジとカーブの指示は俺がやってやる』 少年は脇に座り、自動車教習所の教官のような立ち位置で私を見守る。 スローリー、スローリー、兎に角、ゆっくりとハンドルを切るんだ! 厳しさの中にもやさしさがある。いや、そーじゃなくて、ああ、もうよくわからない。 緊張でどうでもいい。5分もすると、あまりに不甲斐ない運転ぶりに 、少年の表情も強張りから、 半ば呆れ顔に変わる。 『ダメだ、お前じゃ無理だ。代われ!』 「ソーリー、スローリーにできなくてスマソ・・・。ついな・・・」 無事に、船着場に戻りクルージング名目の中型船舶での観光 は終了した。貴重な体験ができたと、握手。では、さようなら、 と互いに手を挙げ別れを告げた。 |
旅行企画の提示したオプションでは『半日クルージング』という紹介だったの で、朝方までは軽く考えていたのだが、 実際は、昼を挟み、さらに 船着場の相互移動と、最終的にシェムリアップ市内にまで到着し終了をみるまで、 予想以上の時間が掛かっていた。時計を見れば16時近く、空は暮れ始めており、 夕刻の冷気が頬をなぞる時間帯になっていた。 |
「トレンサップツアー」の、 ここら辺の時間配分は規定されたものは無く、 客の込み具合や船頭の匙加減でも大きく変わるようである。 西バライ灌漑用水として掘られた人口湖は、8×2kmもの巨大面積を もち、アンコール朝の興国~現在にかけて、大小様々なバライの中でなお最大のサイズを 誇る。 シュムリアップ国際空港の真北に位置しているので、渡航の際には飛行機の下窓から 真っ先に目に飛び込んでくる。 |
中央に島(西メボン)があり、ボートでの往来が可能になっている。 船着場付近は屋台や土産屋が並び、さらに放水の水路が伸びている。 フランスによって造られた水取口で、今でも立派に 周囲の田畑に水を送っている。東の護岸側から1/3にかけてのエリアは干上がっているが 、それでも現役貯水湖として現在も立派に用途を果たしている。 |
西メボンといえば、1936年に「横たわるヴィシュヌ神」が発掘されたので有名だ。 珍しく青銅で製作されたもので、胴体から足までは欠損しているが横臥位の姿勢で横たわる 格好で、肩から対側の肩にかけての 高経は、それだけで1mにもなる巨大なもの。現在は、プノンペン国立博物館で 見ることが出来る。 |