生きてる事が功名か

タ・ケウ


Ta Kev Ta Kev


タ・ケウ   外観   Ta Kev



   タ・ケウの構成は100×120mの綺麗なピラミッド型の建造物だ。 『タ』は老人を意味するという。従って、タ・ケウは(ケウ爺さんの寺)、タ・プロームは( プローム爺さんの寺)という意味になる。


尖塔 頂上からの景観


   外観は荒い角の残存した石積が目立ち、モザイク感が大きい。 10世紀末頃の遺跡で、ジャシャヴァルマン五世が創建を開始する。 しかし、建設途中に王が死んでしまったので、建設の途中で放置されてしまった。 デバター像や、浮き彫り等の壁面彫刻も存在しない。



Ta Kev 中央安置の石仏



    最中央に1本の祀塔と周囲に4本の祀塔を有する構造であり、高経は12mと全て同じ であるが、 これはアンコールワットの第三回廊の尖塔配置と同様である。アンコールワットの約100年近く前の 建築開始時期であるので、 試験的な建造物と見られている部分もある。 事実、 現在では建設途上であった為に 、その他の各寺院の組み立てや、石積み方法を知る手掛かりとして重要な位置付けと化している。



窓枠 窓枠


タ・ケウ  Ta Kev




   内壁をグルリとテラス式の窓枠が形成してある。これは以前の建物 には無かった試みだという。階段を登りきった頂上からは眺めがいい。




   駐車場に戻ると、トゥクトゥクのドライバーが有無を言わさず 切り出す。


『いいか、次のタ・プロームは長方形だから
お前を西の門で降ろして、俺は先回りして東門で待ってるからな』

「ああ、わかった」

『なるべく、早く帰って来いよ』



   以前とらバスで既に見学済であったので、サラリと通過して東のドライバーの 所まで行く。見覚えのある車体を覗き込むと、後部座席で昼寝をしている運転手の姿を発見。



「おい、起きろ!」

『アアンッ!?案外早かったな、オメー』

「次は、小回りコース最後のバンテアイ・スレイだよな」

『はぁ〜?何言ってんだよ。バンテアイ・クディだろ。クディ』

「くでぃ!?」



   一連の史跡群は、何だか似たような名前が多く混合しやすい。 だが、
(バンテアイ・スレイ)(バンテアイ・クディ)この 二つは、名前こそ似ているが創建時期も宗教母体もまるで異なっている。 一条ゆかりと三条友美くらい似て非なるものなのだ。



バンテアイ・クディ

    バンテアイは『砦』、クディは『僧侶』の意味だ。直訳すれば僧の砦。一方、 バンテアイ・スレイは女の砦と訳すことが出来る。



Banteay Kdei Banteay Kdei



   当然、歴史の背景として僧侶の関わった経緯を持つ。ここは、 僧達の住居として使用され、経蔵や瞑想の為の建物も存在する。大きさとしては 700×500mと中規模施設であった。



Banteay Kdei Banteay Kdei hall of dancers hall of dancers



   東門から直進すると、紅色砂岩で 作られた燃える様な壇上「ホール・オブ・ダンサーズ(踊り子のテラス)」がある。 アプサラダンスを描く、多数の壁面彫刻を見ることが出来る。



アプサラダンス hall of dancers Banteay Kdei 中央祠堂



    創建は12世紀末、建築王と賞されアンコールトムを造らせた ジャヤヴァルマン七世が、前王から引継ぎ造築し、存命中に完成させたものだ。 1177年のチャンパ軍の侵略によって、建築途中であった、この建物の破壊と荒廃は相当 酷いものだったようだ。王は真っ先に、このバンテアイ・クディの復興に着手したと言われている。 その後、無事に完成した暁に、仏教寺院としてお披露目された。


   アンコールワット界隈のジャヤヴァルマン七世 以前の王が建造した寺院は、ほとんどがヒンドゥー教由来であった。 建築開始時のバンテアイ・クディもヒンドゥーの寺として建築が進行していたが、 ジャヤヴァルマン七世が 大乗仏教に帰依していたので、途中から仏教寺院として増改築を命じた。



中央祠堂 アプサラダンス



   ところが、次の王が再びヒンドゥーに改宗し、寺にあった仏陀の石仏 を破壊し、壁面彫刻を悉く削った。2001年に日本の修復チームが、敷地内の 小祠堂付近の地中から、274体の首の無い石像と千体仏の掘り込まれた石柱を 発見している。現在、安置されている仏像は上座仏教由来のもので、後の世に持ち込まれた物だ。



石積の崩壊は激しい 石積の崩壊は激しい 案内図



   石積の崩壊が激しく、現在修復中の箇所が多い。担当にあたっている 日本チームとは、上智大学アンコール遺跡国際調査団、である。



Banteay Kdei Banteay Kdei


バンテアイ・クディ   Banteay Kdei




    長年の 増改築や、王達の意向に翻弄された寺院である。



Banteay Kdei うし



   トゥクトゥクに乗り込み、東に進路をとると大型沐浴池『スル・スラン』 が見えてくる。この地点で南の道路へ下ればアンコールワットに至り、小回り コースとして終了を迎える。



Sras Srang 標識



   腕時計を見れば、まだ昼を少し過ぎた程度の時間だった。 トムの広大な敷地面積から、前日まで1日以上の見学時間を 費やした所以で、小回りコースも同様に時間が掛かるものだと合点していたつもりが、 実際は、午前中で早々に周回コース終了してしまい、計画が狂ってしまった想定外の経緯だった。 このまま戻るのも味気無いと思い、ドライバーに声を掛けた。



「悪ぃんだけどさ〜、この道を、そのまんま東に直進して、
クバール・スピアンに行って欲しいんだけど?」

『オメー、予め言っておけよ!30km近くあんだぞ』



「すまない、間に合う?」

『まあ・・・俺に任せろや!その代わり、追加の乗車賃は頂くからな』



土産屋や定食屋が並ぶ スル・スラン



    トゥクトゥクは進路変更し、土産屋の並ぶ東通りを直進した。 暫く走り、東メボンとプレ・ループの間の小道から 山岳道路を抜けて、クバール・スピアンを目指した。クバール・スピアンは山中に埋れた史跡だ。


Nクバール・スピアン
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